愛と平和に満ちた世界への希求 宝塚星組公演『1789─バスティーユの恋人たち─』
宝塚歌劇団が2015年に日本初演を果たした傑作ミュージカル待望の再演である、宝塚星組公演三井住友VISAカードシアター スペクタクル・ミュージカル『1789─バスティーユの恋人たち─』が東京宝塚劇場で上演中だ(27日まで)。
『1789─バスティーユの恋人たち─』は、様々な話題作を生み出し続けるドーヴ・アチアとアルベール・コーエンにより2012年にフランスで初演され、フランス人の視点で描かれたフランス革命の物語として大ヒットを記録した作品。日本では2015年に小池修一郎の潤色・演出で宝塚歌劇月組公演として初演され、のち東宝ミュージカルとしても二度の上演を重ねている。今回はそんな作品の8年ぶりとなる宝塚歌劇バージョンの再演で、大人数が舞台に立てる宝塚の特性を生かした、迫力あるステージが展開されている。
【STORY】
1780年代後半のフランス。栄華を極めたブルボン王朝の支配に翳りが見え始め、重税に喘ぐ民衆による暴動が各地で頻発していた頃──
税金不払いと不法行為の罪を突然言い渡され、貴族将校ペイロール伯爵(輝月ゆうま)率いる官憲に公正な裁判もないまま父親を理不尽に銃殺されたばかりか、僅かな土地も没収された農夫の息子ロナン・マズリエ(礼真琴)は、父の仇を討ち、奪われた土地を取り戻すことを誓い、妹のソレーヌ(小桜ほのか)を残して単身パリに向かう。だが、パリでも市場には全くものが売られていない状態が続いていて、この窮状を打破する為には、平民ばかりでなく貴族や僧侶からも等しく税金を徴収すべきだと訴える革命家のカミーユ・デムーラン(暁千星)や、マクシミリアン・ロペスピエール(極美慎)が街頭演説を繰り広げていた。その場に行き会ったロナンは、はじめは到底信じられなかった彼らの思想に触れるうちに、新しい時代の到来に希望を託しはじめる。
一方ヴェルサイユ宮殿では、民衆が蜂起寸前にまで不満を募らせていることも露知らぬまま、王妃マリー・アントワネット(有沙瞳)をはじめ、貴族たちが栄耀栄華を欲しいままにしていた。しかも、スウェーデンの将校ハンス・アクセル・フォン・フェルゼン伯爵(天飛華音)との道ならぬ恋に身を焦がしているアントワネットは、病弱な王太子ルイ・ジョセフ(美玲ひな)の養育係オランプ・デュ・ピュジェ(舞空瞳)の案内で、フェルゼンとの密会の為、今や、やはり革命家のジョルジュ・ジャック・ダントン(天華えま)らの牙城となっている、パレ・ロワイヤルを密かに訪れる。だが、情報は王位簒奪を狙う王弟シャルル・ド・アルトワ伯爵(瀬央ゆりあ)の知るところとなり、アルトワ伯の命を受けた秘密警察のオーギュスト・ラマール(碧海さりお)ら配下のものたちが尾行するなか、些細な誤解からフェルゼンを責めるアントワネットの声は高くなり、偶然居合わせたロナンを巻き込んでの小競り合いに発展してしまう。アントワネットを守るため、咄嗟にある行動に出たオランプによって追い詰められたロナンだったが、その一見最悪の出会いは、二人の運命を大きく変えていくことになる。
おりしも、民衆の支持を得た革命を希求する炎はフランス全土へと広がり、事態は風雲急を告げてゆき……
2015年の宝塚月組による日本初演から大きな話題を振りまき、東宝ミュージカルとしても育ってきたこの『1789─バスティーユの恋人たち─』は、常に心に深く刺さるたくさんの思いを届けてきてくれたものだが、今回の星組バージョンは、その進化を更に大きく花開かせるものになっていた。まず初演冒頭にあったロナンがバスティーユ監獄の門の鎖を断ち切ったシーンをカットして、クライマックスから物語が戻るのではなく、のちの東宝版同様の時系列を追った上演になったこと。ロナンとデムーランとロペスピエールが出会い、意気投合するナンバー「革命の兄弟」や、革命が遂に最後の一線を越える瞬間を、デムーランが「フランスを救うのは我々人民だ」と高らかに宣言する名曲中の名曲「武器をとれ」など、東宝版上演時に追加された新ナンバーが取り入れられ、音楽的な魅力がより深まったことなどの的確な変更が作品をより豊かにしている。一方で、アントワネット初登場時の巨大ルーレット型衣装や、三部会招集、球戯場の誓いなど、宝塚でなければ描けない大人数を要するナンバーの演出は初演通りに維持され、謂わば潤色・演出の小池修一郎が、フランス人が描いたフランス革命の物語を、日本人にも親和しやすい、革命期を生きた人々の群像劇として構築した日本版『1789─バスティーユの恋人たち─』上演史の過程で、より優れていた面をコラージュしていくことによる作品の深化が鮮明になった。
特に、初演で革命を成し遂げようとする側と、王宮側の対立軸を鮮明にするためとして、当時の月組トップスター龍真咲がロナン、トップ娘役の愛希れいかがアントワネットを演じた、宝塚のトップコンビとしては異例のキャスティングが組まれていたところから、東宝版でも比重高く維持されていたアントワネットの存在を僅かながら後退させ、ロナンとオランプの恋を作劇の中心に据えた構成が効いている。これによって「バスティーユの恋人たち」という副題が指し示すものがより明確になったし、銀橋を効果的に用いるなどの手法を駆使し、脚本そのものには八割がた変更を加えていないと思われるにもかかわらず、トップコンビが演じるロナンとオランプを群像劇から鮮やかに際立たせた、小池の演出力の高さに改めて感服させられた。なかでも、ロナンが生まれや立場に関わりなく、人間は平等で人と人とが愛し合うことに壁などない、と、オランプへの愛を貫くことを宣言する新曲「愛される自由」が書き下ろされたことが、より革命のただなかに生まれた二人の恋の意味を強調していて、作品の目指すところがくっきりと浮かび上がった。
何よりも経済的な格差が広がり、税負担の不公平は一説によればフランス大革命時に匹敵するとまで囁かれる日本の現状のなかで、この世界をよりよいものに変えようと立ち上がる主人公が、歴史に名を残す革命家ではなく、一市民であるという、宝塚歌劇にとっては極めて稀な設定のこのミュージカルが、だからこそいま上演するべき作品になっていることに深い感慨を覚える。しかも、このフランス革命がたどった道程、この作品のなかで肩を組み、手を取り合って戦った「革命の兄弟」たちがのちにどんな結末を迎えるかを知っていて尚、人はいつの日か愛と平和に満ちた輝く世界にたどりつく、ひとつひとつの命が明日の歴史を創る、とすべての登場人物が、階級も立場も超えて歌いあげる終幕の「悲しみの報い」に、歴史の事実までもが浄化される美しさは圧巻だ。
愛と平和に満ちた輝く世界は果てしもなく遠い。けれどもだからこそ、信じなければその世界は永遠に手に入らない。そして、その遠く彼方に霞んでいる希望をまっすぐに信じさせてくれる力を、これ以上ないほど持っているのが宝塚歌劇という世界だ。そのことがこの星組版『1789─バスティーユの恋人たち─』から立ち上った最も大きな、そして最も尊いものだった。
そんな作品の上演を自ら熱望していたと語ったロナンの礼真琴は、父親さえあのような悲劇に見舞われず、いま少し状況が緩やかであれば、自分の土地を丹念に耕し、周りの人々と助け合いながら、村を守って逞しく生きていっただろう、と想起させるロナンの純粋を前面に出した役作りがまず印象的だった。それがデムーランやロベスピエールとの出会いから、初めて見る新聞の印刷機に目を輝かせ、二人から聞かされる革命の理想をすんなりと信じていくロナンの言動に真実味を与えている。そこからオランプとの出会い、ペイロールに植え付けられた革命家たちへの疑念、と劇中で揺れるロナンの心情変化も丁寧で、人としての核を形成していくロナンの成長物語としても作品を表現する力になった。何より「フレンチミュージカルの申し子」と讃えられる抜群のリズム感に支えられた豊かな歌唱力とダンス力が作品を牽引していて、「サ・イラ・モナムール」の劇場空間を突き抜けてくる歌声は全体の白眉。一転「悲しみの報い」では囁くごとくの静かな歌声も響かせ、作品愛の深さを感じさせた。
病弱の王太子、ルイ・ジョゼフの養育係として王室に仕え、アントワネットを敬愛しているオランプをトップ娘役の舞空瞳が演じていることも、この星組バージョンの安定感に通じている。台詞にもあるように、その場その場で自分が成すべきことにひたむきなオランプの不器用な生き方を、舞空が表情豊かに場面、場面に向きあい、体当たりの情熱で演じていくことで、オランプという女性の美質がより確かになった。本来のオランプのナンバーに戻った「許されぬ愛」のソロも切々と歌い上げ、作品のヒロインとして屹立している。
王位簒奪を狙う王弟アルトワ伯の瀬央ゆりあは、宝塚初演で同役を演じた美弥るりかが「ブルボンの血を引く者は神と同じだ」と信じる役柄を妖しくミステリアスに、東宝バージョンの吉野圭吾が「怪演」と呼びたい突き抜け感をと、それぞれ印象的だったアルトワ像とは全く異なり、王よりも美貌と状況分析能力とに秀でているにも関わらず、後から生まれたというだけの理由で王位につけないアルトワの無念を、人間的に演じてきた人物造形に瀬央独自の工夫がある。意図的に革命の炎を煽るように仕向けていくダークヒーローの香りも満載で、瀬央の舞台に常にあった、生来の人柄の良さを感じさせる一面を、完全に封印した新境地で魅了した。この作品を最後に専科に異動するが、役幅を更に広げた美しき男役として、大きな活躍を示してくれることだろう。
デムーランの暁千星は、平民ながらも裕福な家庭に生まれ、高等教育を受けたなかで革命思想に目覚めていったデムーランの育ちの良さ、同じ平民の立場でありつつ明らかにロナンとは生きてきた世界が違うことを感じさせる役作りが光る。これがあるからロナンが一度彼らから距離を置く過程に説得力があるし、意見が対立した時に「同情している」と相手にとっては抵抗があるだろう言葉をてらいなく口にしてしまいながらも、「君たちの経験のすべてをわかるなどと嘘をつくつもりはない」「(わかりあえないと)決めつけないで話し合おう」と語るデムーランの誠実さがよく伝わってきた。何よりも定評あるダンス力だけでなく、非常に美しいメロディーだが、低音域から高音域まで幅広い難しさも持つ「武器をとれ」を朗々と歌い上げた歌唱力の充実が顕著で、星組に異動以来加速度をつけた充実に更に磨きがかかっている。
ロベスピエールの極美慎は、元々名は体を表す美しきビジュアルとプロポーションの良さで注目を集めてきた人だが、革命家たちのなかでも最も後世に名を知られたロベスピエールの若き日を、地に足のついた演技と、力感ある押し出しで表出してきたことに目を瞠った。課題だった歌唱にも長足の進歩がみられ「誰のために踊らされているのか」のソロナンバーでも堂々とセンターを担っていて、宝塚歌劇を観続けているなかで、折々に感じてきた、一人のスターが男役として「化けた」瞬間に立ち会った思いがする。おそらく極美にとってこのロベスピエール役はのちのちエポックメイキングとして語り継がれるものになることだろう。
フランス王妃マリー・アントワネットの有沙瞳は、何かひとつタイミングが違っていればトップ娘役になっていて全く不思議のなかった力量のすべてを、惜しくも退団公演となったこのアントワネット役に注ぎこみ、恋に恋する無邪気さ全開の冒頭から、王太子の死、革命の勃発によって王妃としての責務に目覚めていく終幕まで、アントワネットの成長と気高さを十二分に表現している。特にフランス王妃としての務めを全うすると決意してからのフェルゼンとの別れや、オランプをロナンの元へと送り出す台詞回しに『ベルサイユのばら』のアントワネット像に一脈通じる様式美があり、宝塚歌劇のアントワネットとして出色の出来。一人舞台のセンターを担う「神様の裁き」も美しく歌いきり有終の美を飾った。
また、革命家ダントンの天華えまが、役柄の豪放磊落さを的確に表現していて、革命家たち、ロナン、そして恋人になるソレーヌへ向けるそれぞれの表情に魅力があり、国民議会の設立と立ち位置を訴える台詞ににじむ迫力でも場をさらった。ロナンの妹で兄を追ってパリにやってきたものの、住所不定の兄を探し出せないまま夜の街で生きるソレーヌの小桜ほのかは、ビッグナンバーの「夜のプリンセス」を持ち前の歌唱力で歌いきり、作品の大きなアクセントになっている。ただ宝塚版では出番がカットになっていることもあって、ロナンとソレーヌ兄妹の関係性が希薄に見える面があり、これは礼と小桜の問題ではなくステージングとして、台詞のないところでのリアクションがとれるように、二人の立ち位置にもうひと息の配慮が欲しい。同じことがロベスピエールの恋人の水乃ゆりにも言えて、劇中で唯一言及がないカップルだけに「サ・イラ・モナムール」に至るまでの過程で、今少しロベスピエールとの絡みを増やしても良かったと思う。その辺りはやはりしっかりと書き込まれているリュシルの詩ちづるが可憐な容姿も加わって目に立ち、デムーランとの親密ぶりが微笑ましい。パリの下町を闊歩する少女シャルロットの瑠璃花夏も、本来は子役が演じる役どころを溌剌とよく動く表情で活写した。
更に、初演よりも出番が絞られているフェルゼン伯爵の天飛華音は、その少ない出番でアントワネットに自らの命さえ捧げると誓う貴公子を貫いていて、この持ち場でこれだけ深く印象を残せる天飛の地力を証明している。飛び切りの愛らしさで目を引く王太子ルイ・ジョセフの美玲ひなをマントで隠して登退場する1幕ラストのマント捌きも実に美しかった。秘密警察のラマールの碧海さりおは、本来二枚目男役に振るには難しい役柄を、配下のロワゼルの稀惺かずと、トゥルヌマンの大希颯とのコンビネーションでよく乗り切っている。また、ベテラン勢ではオランプの父ピュジュ中尉の美稀千種が、終幕に向けて非常に重要な意味を持つ役柄を滋味深く演じているし、アントワネットの取り巻きポリニャックの白妙なつは、変わり身の早さよりも貴族の誇りが前に出た白妙らしい演技で「パレ・ロワイヤル」へと場面をつなぐソロでも美声を響かせた。ルイ16世のひろ香祐は、心優しい故にアルトワの讒言にハマっていく王の悲劇を的確に。財務大臣ネッケルの輝咲玲央は、常に正しい助言がことごとく退けられるアルトワとの暗闘に、冷静さを保つ矜持を見せた。革命思想を形にする印刷所の主マラーの大輝真琴が、おだやかで優しい人物としてマラーを強調したのも面白かった。
そして、ペイロール伯爵の輝月ゆうまは、実際に民衆の前に立ちはだかる唯一の存在と言ってもいいペイロールに、王政を守ることに忠実なだけでなく、どこかに狂信的なサディスティックさを滲ませていて、ロナンとの対決では礼と同期生である阿吽の呼吸が生み出すアクションの絶妙さに、本当に蹴ったのではないかとハラハラさせられたほど。本来の美声に適度なだみ声を含ませていて、専科からこの人が出演した意義を感じさせた。
何よりも今回の星組バージョンが傑出しているのは、群像劇としての作品の成り立ちを、個性豊かな星組の面々が粒立たせていることで、宝塚の『1789─バスティーユの恋人たち─』を見事に紡ぎあげた星組生全員の奮闘に拍手を贈りたい。
この公演は、宝塚大劇場、東京宝塚劇場両上演を通じて、出演者の体調不良による休演、また東京公演では代役による上演という大きな試練に立ち向かうことになった。舞台から降りたい舞台人など世界のどこを探してもいないだろうし、同じように自らの不調で舞台を止めたい舞台人もまたいるはずもない。こうしたまさに苦渋の選択のなかで、主人公ロナンを演じることになった暁千星は、自分の置かれた境遇への怒りと、貴族階級や恵まれた者たちへの敵愾心を露わにした表現が新鮮。フレンチミュージカル独特の歌い方というよりも、一歩芝居歌として従来のミュージカルに寄せたナンバーの歌い方に心情がよく乗り、オランプとの恋にも一直線にのめりこんでいく、終始勢いを感じさせる暁のロナンを形成していた。どれほどの重圧があったことか想像に難くない、スターシステムを敷く宝塚歌劇での主演者の代役を務めあげた気概にただ頭が下がる。
デムーランの天華えまは、育ちが良いだけでなく人柄がそもそも良い、徹底的に優しい人物としてデムーランを造形。高音域が豊かな歌声もよく生きていて、同じ革命家ながらダントンとは全く違う天華のデムーランを見事に構築していた。またそのダントンを演じた碧海さりおは、持ち役が王宮側の人物だけに、180度異なる出番を全くそうとは思わせない抜群のダンス力を軸に、剛毅で颯爽とした人物を創り上げていて、やはりこの人本来の持ち味はこの系統の役柄にあると思わせた。またラマールの鳳真斗愛は、喜怒哀楽の表現が突き抜けていて、舞台だけでなく客席にも緊張があった代役公演の空気を和ませる快演を見せて将来有望。こうした表立ってはっきりと見える代演ばかりでなく、細かいフォーメーション移動や、自分の役柄は同じでも相手から受ける芝居が異なる舞空瞳、瀬央ゆりあをはじめとした星組全員の一致団結が、このあらゆる意味で難しい局面を乗り切る力になったことは論を待たない。それはすなわち礼真琴率いるいまの星組の充実度の表れでもあって、公演に関わったすべての人々に敬意を表すると共に、星組の未来に更なる興隆が訪れることを願っている。
【公演情報】
宝塚星組公演
三井住友VISAカード シアタースペクタクル・ミュージカル『1789─バスティーユの恋人たち─』
Le Spectacle Musical ≪1789 – Les Amants de la Bastille≫
Produced by NTCA PRODUCTIONS, Dove Attia and Albert Cohen
International Licensing & Booking, G.L.O, Guillaume Lagorce
潤色・演出:小池修一郎
出演:礼真琴 舞空瞳 ほか星組
●7/22~8/27◎東京・東京宝塚劇場
〈料金〉SS席12,500円 S席9,500円 A席5,500円 B席3,500円
〈公式ホームページ〉https://kageki.hankyu.co.jp/revue/2023/1789/index.html
【取材・文/橘涼香 撮影/岩村美佳】
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