【一十口裏の「妄想危機一髪」】第82回 鼓動
センパイは言った。
「ああ。俺の心臓、ここにあっから」
バカは答えた。
「マジっすか!」
センパイはいつも、右足を揺すっている。
みんなで校内を走り回っている時も、ひとりきり教室で物憂げにしている時も、一定のリズムで揺すっている。
その振動がセンパイの髪を揺らす。その振動がセンパイの息を揺らす。ああカッコいい。
センパイの心臓は、その右足のフクラハギ辺りにあると言う。一定のリズムで脈打っている。
バカは「ナルホド!」「サスガ!」と、しきりに首を捻った。
みんなで馬鹿話をしている時も、ひとりきり教室で黒板を消している時も、一定のリズムで捻っている。
その振動がバカの髪を乱す。その振動がバカの鼻息を振り撒く。ああカッコわるい。
バカの心臓は、その首の根ッコ辺りにある。一定のリズムで脈打っている。
校庭の隅で並んで座っている二人を、私は隠れて見ている。
いや。私はセンパイを見ているのだけど、大抵、その隣にバカが居る。
本当に邪魔だ。バカが体を捩ったから、センパイがよく見えなくなった。
舌打ちしながら少し横に移動すると、その横をキャバが通り過ぎた。
「あっビックリした!そんなトコで何してんの?」
「別に何も」
「ま、どうでもいいけどー」
キャバはグロスでキトキトになった口でケタケタ笑って、ケバケバしくセットした髪を揺らしながら去って行った。
キャバの心臓はあの髪の、一本一本にある。それがそれぞれに、脈打っている。ああキモチわるい。
今は放課後。
まだホームルーム中の教室もあるが、帰宅する奴らや、意味なくふざける奴らや、部活の準備をする奴らで、校庭はだんだん五月蝿くなってきた。
やたらと鼻を歪める奴、やたらと口を尖らす奴、やたらと肩を上下させる奴、やたらと手首を回す奴、やたらと足首を回す奴。
みんなそれぞれに、そこに心臓がある。だから鬱陶しいけど、仕方ない。
しかしみんなそれが、分かっているのかなと思う。ふざけ半分でプロレス技みたいなものを仕掛けているのが居るけど、そんなことしたらすぐ死ぬぞと思う。
「わっ!ビックリした。何してんの」
いつの間にか校庭の方をボーッと見ていた私を、蹴飛ばしそうになってバカが言った。
私は植え込みの脇に、小さくしゃがんでいたのだった。
「別に何も」
私は言った。
私はどこにでも身を潜められる。
例えばみんながそれぞれに、体を揺さぶっている授業中。もちろん先生も、特に社会のウカベなんかが、リズミカルに腰をフリフリ熱弁する授業中。私はひとりだけ微動だにせず、静かに座ってノートを取る。
そんな私だからか、時々意味なく揶揄われたり突かれたりするけど、何の動揺も見せない私には何も面白味もないようで、そのうち忘れ去られる。それが目下の悩みだ。
休み時間もだいたい一人きりで過ごすことになる。放課後に遊ぶ相手も居ない。
別にいいのだけど、別にいいと思っていてはいけない気もする。
だから時々みんなの真似をして、ヒョコヒョコと足を動かしてみたりもする。そうして会話に入ってみる。
しかしすぐに疲れてしまう。結局苦笑いしながら、ヒョコヒョコとそこを立ち去ることになる。なんなんだ今のは、となる。
こんな感じで、いいんだろうか。この先、このままでいいんだろうか。
私の心臓は、どこにあるんだろう。
私の心臓は、どこで脈打っているんだろう。
「センパイ!いっつもビックリするんすよ!」
バカは無駄に大声で言った。
「だってこいつ、いっつも、いつの間にか、近くに居たりするんすよ!」
バカは首を捻り捻り、更に大声で言った。
「なんなんだろ!もう、キモチわりいっすよね!」
なぜか興奮しているようで、バカの首は千切れんばかりに高速で捻られている。
なにをそんなにドキドキしてるんだ。
私はその場から、とりあえず逃げようと思って立ち上がったが、逃げるのも変だなと思い、立ったままになった。
そこにセンパイが近づいてきた。そして一定のリズムを保って、クールに右足を揺さぶりながら、静かに言った。
「へえ、落ち着いてんじゃん。大人なんじゃん?」
初めて間近に、声を聞いた。
こっそり近寄ることは、何度もあった。
揺れる息を、感じることはあった。
しかし初めて間近にその声を……
「静かな子は、俺、好きだよね」
ドーン、とその時、大地が揺れた。
同時に背後で、校舎が軋んだ。校庭に一瞬、悲鳴が響いて、すぐに静かになった。
「え、なにこれ?」
よろけたセンパイは、私のすぐ近くで言った。
すると、ドン、ドン、ドン、ドン。大地は小刻みに揺れだした。
「なんだこれ?あ、大丈夫かよ」
センパイは汗ばむ私の肩を握った。
すると、ドン!ドン!ドン!ドン!大地は大きく揺れだした。
校舎の窓が、下から順に砕け割れた。校舎の塀に、下から亀裂が入った。
バカは裏返った声で叫んだ。
「えっ!ウソだろ!お前の心臓…」
「え?」
センパイの手に力が入った。
その時、校舎は崩壊した。
脆くも綺麗に崩れ去り、一面、瓦礫の山となった。砂埃が舞って、一瞬、何も見えなくなった。
しかしそんなことよりも、ああ、肩に触れたセンパイの手が熱い。
大地の揺れは止まらない。止まらないどころか大きくなっていく。
「おい!お前の心臓、どこにあんだよ!」
「え?」
バカが首を捻りながら、アタフタと地面を蹴り上げる。
砂埃の向こうではクラクションが鳴り響き、車同士がぶつかり合う音がする。メリメリと電柱が折れて、千切れた電線がユラユラと弧を描く。大量の水が噴水のように、勢いよく噴き上がる。
「私の…?」
目の前に亀裂が入って、何人もが、いや何十人もが、落ちていく。
逃げ惑い、泣き出すみんなは、小さく怯えて震えている。
私の肩を握ったままのセンパイの右足も、これまでになく小さく震えている。情けない程こぢんまりと、震えている。
その横でバカの首だけが、そのまま飛んでいかんばかりに、高速で大きく捻られ続ける。
高速で左右する顔で、バカが叫ぶ。
「なんだよ!お前!センパイのこと!」
「は?」
「センパイのこと、こんなに!」
「は?」
「なんだよ!そうだったのかよ!ちくしょう!!」
「えっ…」
これまで見たことのないような顔を見せるバカ。いやよく見えないけど。
見たいけど、よく見えない。でもよく考えたら、別に見たくない。
遠くの方からサイレンの音が聞こえる。
ゴーという音がして遠くのビルが崩壊していく。どこからか煙が上がる。
植え込みの横の木につかまって、私は思わず心の中で叫んだ。お父さん!お母さん!
しかし大地は、揺れ続ける。
わけもわからず、揺れ続ける。
【著者プロフィール】一十口裏
いとぐちうら○ 「げんこつ団」団長
げんこつ団においては、脚本、演出のみならず、映像、音響、チラシデザインも担当。
意外性に満ちた脚本と痛烈な風刺、容赦ない馬鹿馬鹿しさが特徴。
また活動開始当初より映像をふんだんに盛り込んだ作品を作っており、現在は映像作家としても活動中。
げんこつ団公式サイト
http://genkotu-dan.official.jp/
▼▼▼今回より前の連載はこちらよりご覧ください。▼▼▼
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