《橘涼香の名作レビュー館》その2『彷徨のレクイエム』
「挽歌」でつながれた豪華三部作のロシア革命もの
宝塚歌劇の多彩な作品群から、特に公演DVDなどがまだ残されていなかった時代を中心に、サイト内で振り返って行こう!という企画の第二回目にお送りするのは、1981年雪組で上演された植田紳爾作・演出、阿古健演出による宝塚グランド・ロマン『彷徨(さすらい)のレクイエム』です。
この作品はロシア革命によって滅亡したロマノフ王朝の、第四皇女アナスタシアが実は一命をとりとめていたという、世に言う「アナスタシア伝説」を題材にしています。これは本年3月に梅田芸術劇場バージョンとして本邦初演され、上演期間見直しにより時期こそ未定になりましたが、宙組の真風涼帆と星風まどか主演での宝塚バージョン上演も決定しているミュージカル『アナスタシア』と同じテーマで描かれています。しかも、そのミュージカル『アナスタシア』にマリア皇太后役で出演した麻実れいが、奇しくも主演を務めているという縁から、多くの話題に上るようになりました。
とは言っても『彷徨のレクイエム』は、『ベルサイユのばら』『風と共に去りぬ』と宝塚歌劇に一時代を築いた植田紳爾のオリジナル作品。しかも三つの物語をつないだオムニバス形式という、宝塚歌劇としても非常に珍しい作りになっていて、なんとグランドフィナーレを含め、4部40場で展開される大スペクタクルです。ではまずその三つの物語のストーリーを振り返っていきます。
◇STORY◇
第一話「雪の挽歌」
1917年3月。ロシア革命勃発により退位した皇帝ニコライ二世一家は、シベリアの流刑地エカチェリンブルグで幽閉生活を余儀なくされていた。臨時政府の法務大臣ケレンスキー(曽我桂子)の命により、皇帝一家の護衛に当たる警備隊長コビリンスキー(寿ひずる)の配慮で、皇帝一家は束の間の安寧を得て、コビリンスキーと第一皇女オリガ(鳩笛真希)は互いに淡い恋心を抱くに至っていた。
だが、数ヶ月後穏健派のケレンスキーは失脚。革命赤軍政府非常委員会のユーロフスキー(上條あきら)が、コビリンスキーに皇帝一家処刑の命令を下す。重い血友病を患い死の足音を敏感に察知していた皇太子アレクセイ(山城はるか)は、自分の代わりにこの音楽に生き続けて欲しいと、フランス人家庭教師ジュリア―ル(沖ゆき子)に、自作曲「挽歌」の楽譜を形見として託す。
1918年7月16日、ミサに出かけた皇帝一家に革命軍の銃口が火を吹く。だが全員即死を宣言したコビリンスキーの銃弾は敢えて逸らされていた。オリガと第四皇女アナスタシア(毬谷友子)はこれにより命永らえ、二人の皇女はジュリア―ルと共に脱出。それを見届けたコビリンスキーは、ソビエトの軍人として自らの手でその人生に終止符を打つ。
第二話「傷だらけのメロディー」
1915年トルコ、イスタンブール。ロシアからの亡命者を船でパリなどに逃亡させる代償として多額の金品を得ていたミハイル(麻実れい)の前に、セルゲイ(千城恵)とその妻リュドミラ(遥くらら)があらわれる。ロシア革命前に亡命していたマリア皇太后(瑠璃豊美)を動かし、ロマノフ王朝の再興を図ろうと計画しているセルゲイは、ミハイルの相棒ペペル(尚すみれ)に話をつけ、翌朝船でイスタンブールを離れる手はずとなっていた。だが、ミハイルにとってリュドミラは身分違いの為に結ばれることのなかった初恋の女性だった。ただひとつの恋を失ったことから自暴自棄になり、裏社会へと走ったミハイルは、運命のいたずらで再び出会ったリュドミラの逃亡を助けるべきかを思い悩む。そんな彼が弾くピアノの音に引き付けられ、ジュリアールが現れる。ミハイルが弾いていた曲は、皇太子アレクセイが遺した「挽歌」で、逃亡の日々にオリガを亡くしたばかりか、アナスタシアと別れ別れになり、今もその行方を捜し続けるジュリア―ルは、音楽が自分の手を離れ、遠い異国に根付いていたことに希望を抱く。そしてミハイルもまた、命を賭けてリュドミラを無事に逃亡させようと決意するのだった。
第三話「虹の追憶」
1922年5月フランス、パリ。今まさに華やかなレビューの幕が下りようとしているレビュー小屋でスリ騒ぎが起きる。騒動の張本人たちミッシェル(寿ひずる)、イザベル(岸香織)、アナスタシア(遥くらら)を詰問していたレビュー・スターのフェリックス(麻実れい)は、記憶を失っているというアナスタシアの話から、この娘は小屋の楽団でヴァイオリンを弾いているジュリア―ルが、かねてから探し続けていたロシア皇女アナスタシアではないかと思い当たる。果たして、ジュリア―ルが弾く「挽歌」を聞くうちにアナスタシアは記憶を取り戻し、自らをロシア皇女アナスタシア・ニコラエブナだと名乗るに至る。
フェリックスはアナスタシアを本来の身分に戻し、幸福な生活を送らせてやろうと皇女教育を始めるが、皇女生存の噂が広がり、革命以前にアナスタシアと婚約していたデンマークのポール大公(尚すみれ)をはじめ、ロマノフ王朝の莫大な財産がアナスタシアに渡ることを目論んだ人々の思惑が乱れ飛ぶ。そんな中、マリア皇太后とアナスタシアの対面が実現。アナスタシアは晴れて真実の皇女と認められるが……。
◇◇◇
この作品が上演された当時の雪組は、今も「伝説の男装の麗人」と呼ばれる麻実れいを筆頭に、長く娘役の鑑として、憧れの象徴的存在だった遥くらら、抜群の歌唱力と純二枚目の持ち味で人気を博した準トップスターの寿ひずるが「ゴールデン・トリオ」と謳われる強力な布陣の組でした。
特に寿は、ポスターはもちろんプログラムの表紙にも麻実と共に登場していた特別なスターで、このオムニバス形式の作品でも、ロシア革命を描いた物語の第一話の主人公を担ったのは寿でした。トップスターの麻実は、皇太子アレクセイの思い出の中に登場する音楽教師ウロンスキーとして「挽歌」を歌ったり、長女オリガが妹や弟に語り聞かせるギリシア神話の幻想シーンでオリオンとして踊るなどの、謂わば特別出演的な出番で第一話に出演していたのです。
現在のトップスターを頂点とするピラミッド型のスターシステムが、強固にできあがっている宝塚歌劇に親しんでいる方たちには、驚きのあるキャスティングかも知れませんが、ひとつの物語の主演を任された寿はもちろんですが、その特別出演格の麻実がなんとも素敵だったのです。特に音楽教師ウロンスキー役で、吹雪の中、橇に乗り歌う場面は、『ベルサイユのばら』─アンドレとオスカル編─のクライマックス、かの有名なガラスの馬車に匹敵するほどの華麗なシーンで、幼年時代のアレクセイ役で麻実の腕に抱かれている光木裕が、なんと役得なことか!と思うほどでした。
そこから第二話のダーティーヒーロー・ミハイルとして黒革のコートを羽織ってグランドピアノのある部屋に現れる麻実の、ガラリと変わった空気感、登場しただけで強烈に匂い立った虚無と哀愁が、劇場中を掌握した様はまさにため息ものでした。第三話のレビュースター・フェリックス役の役柄に相応しいスターぶりと明るさを併せて、ひと作品で何度も美味しい、トップスター麻実れいの存在が十分にありました。前述のミュージカル『アナスタシア』でも、登場するだけでその双肩にロマノフ王朝の威厳を背負って見せた、麻実れいここにあり!の姿は、間違いなくこの宝塚歌劇団時代から蓄えられたものだったのです。
それは、強く慕いながらも別れざるを得なかった初恋の人と、運命の皮肉で再会するリュドミラと、スリをしながら生計を立てていたパリの下町の娘が、皇女の気品を取り戻していくアナスタシアの変身とを巧みに演じ分けた遥くらら。悲劇の軍人としてひと作品の芯を任され、また第三話ではアナスタシアのスリ仲間として軽妙洒脱に躍動した寿も同様で、更にストーリーを読んで頂いてもわかるように、とにかく役が多い!しかもあらすじにはとても書ききれない、台詞や、歌のソロを担う役柄が数限りなくあって、三つの物語のどれにもショー的なシーンがあるだけでなく、華やかなプロローグ、たっぷりのグランドフィナーレもつくのですから、全編を通じて雪組生全員が八面六臂の大活躍でした。
と言うのも、作者の植田紳爾が『ベルサイユのばら』『風と共に去りぬ』の、所謂一本立て大作でヒットを飛ばす中で、一本立て作品の問題点として、主要スター以外の役柄がどうしても少なくなってしまうことを感じていたのが、このオムニバス形式の物語を構想した出発だった、とプログラムの作者言に記していて、多くの生徒を活躍させようという意図がまず作品の根底にありました。
もちろん植田紳爾の作品は、現代のミュージカルの概念とは全く別の、「宝塚グランド・ロマン」と呼ばれる、スターをとことん立てて見せる歌舞伎様式に近い作劇法が取られています。ですからそもそもの立脚点が異なるとは言え、この概念は、宝塚歌劇が「歌劇団」という劇団であることを考えても、やはり大切だなと感じます。端的に言って現代でもひとつの作品に組のメンバーは約半年間携わる訳で、その期間にたった一言だとしても台詞があるのとないのとでは、この日々の意味さえ違ってくると思います。
また、この作品で三つの物語をつないでいく「挽歌」に関わる重要な役柄ジュリア―ルを演じた沖ゆき子はこれが退団公演で、またとない餞の場になっていたことも美しいものでした。そういう配慮ができるのもオリジナル作品なればこそで、こういった試みに、今の若い作家の方々にも是非挑戦して欲しいなと願います。
ちなみに当時は新人公演が二回あって、更に双方で第一話と、第三話が上演されましたので、新人たちも大活躍。第一話の主演コビリンスキーは、奈々央とも/杜けあき。ヒロイン・オリガは北いずみ/花田あい。麻実れいが本役のオリオンとウロンスキーを箙かおる/桐さと実。第三話の主演フェリックスを同じく箙/桐。ヒロイン・アナスタシアを花鳥いつき/美風りざ。ミッシェルを飛鳥裕/明都ゆたかが演じています。
後の雪組トップスター杜けあきや、専科の重鎮として、また優れた組長として今の宝塚ファンの方々にもおなじみの箙かおるや飛鳥裕が、溌剌とした若手だった時代ということになります。新人公演を二回、キャスト違いでやるというのは、どんなに大変だったろうかとも思いますが、一方で多くのスターが生まれやすい機会にも確実になっていたのです。
と、オリジナルの良さを語ってはきましたが、それとは別に、コロナ禍の公演自粛が続き、結果的にミュージカル『アナスタシア』本邦初演の初日となった2020年3月9日。公演後のアフタートークショーに、日本版オリジナルキャストの一員として出演した麻実れいが、「ディミトリ(に当たる役)をやっていました」と、優雅に語ったのが誇らしかった同じミュージカル『アナスタシア』宝塚バージョンを、真風涼帆と星風まどか以下、宙組生が堂々と演じてくれるだろう姿にも期待が高まります。特に宙組は前任トップスター朝夏まなと時代に、同じロシア革命に材を求めた、上田久美子の『神々の土地~ロマノフたちの黄昏~』を上演しているだけに、このミュージカルの背景への親和性も殊の外高いでしょう。
その新しいミュージカルの幕が早く開いてくれることを心待ちにすると共に、せっかく話題になっている今だからこそ、『彷徨のレクイエム』の再演に挑戦するのも面白いかも?と夢見る日々もまた続いているのです。
【公演データ】
1981年 宝塚歌劇雪組公演
宝塚グランド・ロマン『彷徨のレクイエム』
作・演出◇植田紳爾
演出◇阿古健
出演◇麻実れい 遥くらら 寿ひずる 他 雪組
1981年5月15日~6月30日◎宝塚大劇場、8月2日~30日◎東京宝塚劇場
【文/橘涼香】
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