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宝塚歌劇でしか描けない美しき魂の交感 ミュージカル『チェ・ゲバラ』

キューバ革命を成功へと導き、「自由と平等を希求する革命家」として生涯を全うしたエルネスト・ゲバラ(通称・チェ・ゲバラ)の人生を描いた宝塚歌劇団月組公演『チェ・ゲバラ』が日本青年館ホールで上演中だ(5日まで。のち大阪梅田芸術劇場シアタードラマシティで11日~19日まで上演)。

ミュージカル『チェ・ゲバラ』は、これまで『For the people ─リンカーン 自由を求めた男─』『ドクトル・ジバゴ』と、宝塚の男役としての舞台生活35周年を迎えた轟悠を擁して、宝塚の枠を超える作品を発表してきた原田諒が、「キューバ革命を宝塚化する」という、更なる大きな挑戦に出た作品。宝塚歌劇の男役の虚構性と、現代史にその名を残す稀代の革命家のリアリズムを、果敢にも融合させることを目指した意欲作となっている。

【STORY】
1950年代、キューバ。民衆はアメリカ資本による植民地的支配のもと、アメリカ・マフィアと繋がり私腹を肥やすバティスタ大統領(光月るう)による独裁政権下での、過酷な労働と搾取の日々に喘いでいた。
そんな中、アルゼンチンの裕福な家庭に生まれ医師となりながら、キューバ同様強国の犠牲となり苦しんでいる人々の為に、自分が為すべきことは何かを探しながら南米大陸を放浪していた青年、エルネスト・ゲバラ(轟悠)は滞在先のメキシコで、バティスタ政権打倒のクーデターに失敗し、メキシコに亡命後仲間と共に潜伏生活を送っていたフィデル・カストロ(風間柚乃)と出会う。強国支配から脱し人民に自由を取り戻したいとの、熱い志を持った二人の運命の邂逅は事態を大きく動かし、ゲリラ戦に備えた訓練をつんだ一行は、嵐の海をついてキューバに帰還。政府軍の攻撃を受けいったんはシエラ・マエストラ山中で散り散りになったものの、ニューヨークタイムズのジャーナリスト、ハーバート・マシューズ(佳城葵)のインタビューに応じたフィデルがキューバに生還しているというスクープにより、民衆の政権打倒への希望に火がつき、エルネストとフィデルはトルキノ山頂で再会を果たす。更に、反バティスタ政権の地下活動グループからの支援も広がり、単身軍資金を届けにきた大学生アレイダ・マルチ(天紫珠李)ら、同志を増やしていった反政府軍は、エルネストのたてた巧妙な戦術によって、遂に政府軍を倒し首都ハバナを制圧。ここにキューバ革命が成就する。
首相に就任したフィデルと共に、政府の要職に就いたエルネストは、共に戦った日々の中で愛を育んだアレイダと結婚。キューバを経済的にも自立した真の独立国家として発展させるべく奮闘するも、アメリカによる経済封鎖の前に、永遠の同志だと互いに信じていたフィデルとの想いにすれ違いが生じていき……

105年の歴史の中で大きく括れば愛と夢を描き続けてきて、一般知名度的には「宝塚=『ベルサイユのばら』」という図式が根強く残っている宝塚歌劇団には、その実非常に大きな作品の振り幅を容認する懐の深さがある。例えば昨年「あの世」を奇想天外な煌びやかさで描いた星組公演『ANOTHER WORLD』が上演されたあとに、世界大戦前夜のパリを描いた雪組公演『凱旋門』が上演された折には、この二つの両極端とも言える表現を持った作品を続けて上演し、しかも観客が何事もなく両者を受け留める劇団というのも、そうそうないのではないかと感嘆したものだ。それは「宝塚歌劇」というジャンルが、所謂「宝塚らしくない」と言われてきたどんな作品でも、最終的にはちゃんと「宝塚化」してしまう力を持っていて、果敢に様々なカラーの作品を咀嚼しながら、105年の長い歴史を紡いできた証のようにも思われた。

だが、そんな良い意味でのしぶとさ、強靭さを持つ宝塚歌劇と言えども、理想の世界を愚直なまでに追い続け、ゲリラ戦の中で生涯を閉じた「チェ・ゲバラ」の人生が舞台に乗る日がくるとは、さすがに想像したことがなかった。現代史は当然ながら歴史の評価が定まっていないし、何よりもどうしても政治色が濃くなることが避け難い。特にキューバという国自体が非常に語りにくさを抱えていて、東西冷戦下はもちろんのこと、ソビエト崩壊後、ロシアのプーチン政権、アメリカのオバマ政権、そして現在のトランプ政権との関係の中で、その存在は今も動き続けている。更にチェ・ゲバラを描くに欠くことのできないフィデル・カストロが90年の生涯を閉じてまだ3年に満たない。今や宝塚の顔的作品のひとつとなっている『エリザベート』初演時に、ナチス台頭を表わす場面さえも避けた宝塚歌劇で、この題材が取り上げられることは想像の域を超えていた。
ただ一方で、現実に原田諒が轟悠とのタッグでミュージカル『チェ・ゲバラ』を上演するとの報が流れた瞬間には、不思議なほどにそこまでの驚きはなかった。むしろ何か「あぁ、なるほど、そう来たか」に近いような、表現が適切ではないかも知れないが腑に落ちるものがあったのだ。

と言うのも雪組でトップスターを務めた後、専科に異動して「宝塚歌劇団の男役」であり続けることを選択した、現在のところ確実に「第二の春日野八千代」の位置にいる轟悠の存在は、これまで考えることのできなかった題材の宝塚化を幾度も実現してきていたし、更にその轟を擁して劇作家原田諒が成し遂げてきたチャレンジにも、他の追随を許さないものがあったからだ。通常であればチェ・ゲバラと言えば誰もが思い出すあのベレー帽と髭に覆われた風貌自体が、宝塚歌劇のスターにはとても似つかわしくないと思うところだろう。けれどもすでに轟悠は、そうした「宝塚のスターたるもの」に近いあらゆる制約から解き放たれていて、むしろ完璧なビジュアルに唸らされたポスターの仕上がりに、納得感さえ漂わせたのはたいしたものだった。しかも、その完璧なビジュアルばかりでなく、宝塚の舞台に登場した轟演じるチェ・ゲバラの物語に、宝塚歌劇でしか描けない美しさがあったことに畏怖の念を覚える。

もちろん題材が題材だから、舞台の多くはゲリラ戦が展開される山奥だし、煌びやかな衣装が登場する場面も極めて少ない。ゲバラが辿る理想が高すぎたが故とも取れる、悲痛な運命も変わる訳ではない。宝塚的か?と言えば、とてもそうとは言えない作品だろう。それでもゲバラが胸に誓った志、曲げられなかった理想と、革命を成し遂げた後のキューバの命運を担って、したたかに泥臭く動くことも避けられなかったカストロとの関係。二人が魂で結びつき、共に闘いながらも別れていく過程を、互いが互いの立場と思いを理解していたからこそだという、美しい展開に落とし込んで尚、その世界観が浮かない劇団は宝塚歌劇団をおいて他にないのではないか?と思えた。しかもその美しさが浮かない世界だからこそ、ゲバラの遺した「もし私たちが空想家のようだといわれるならば、救いがたい理想主義者だといわれるならば、出来もしないことを考えているといわれるならば、何千回でも答えよう。『その通りだ』と」という言葉が胸に深く染み入る。ゲバラが逝って半世紀。彼が命を懸けて求めた理想の世界、異なる言葉、異なる文化、異なるルーツや宗教を持つ民族同士が、互いに認め合える真の平和は未だ実現されていない。いないどころかむしろ世界は更なる自国の利益のみを優先した、ポピュリズムに覆われる方向に進んでいるとさえ思える。けれどもだからこそ、理想を語り続けること、愚直に平和を信じることが今できる唯一の確かなものだし、演劇というジャンルの成し得るそれが小さな、けれども最も大きな使命だと思う。その根幹を原田が見事に押さえた上に、バチスタ付の軍人礼華はる演じるルイスと、ダンサーのレイナの晴音アキ、更にレイナの兄で反政府軍の一員ミゲルの蓮つかさにつながっていく、歴史上の人物に絡めた伏線のドラマがよく書き込まれていて、原田作品としても進化を感じさせるのが素晴らしい。

そんな中で、この作品が静かに訴えかけてくる「自由への前進」と「他者への愛」が、轟悠によって宝塚歌劇の作品になり得たことに敬意を表したい。それほど轟の孤高の存在が、作品の中のゲバラを生き生きと描き出したこと、男役を極めてすべての枷から飛翔し、尚進化する轟のゲバラが、原田にこの作品をある意味書かせてくれたことが、やはり何より尊い。タカラジェンヌという存在の神秘を感じさせる轟の、若いメンバーが多い月組の中に入って全く違和感がない演じぶりも、いつもながら驚異的で、骨太な信念と不器用だからこそ崇高なゲバラの生き様が、轟のそれと重なって見える効果も絶大だった。何を今更という表現だが、余人を持って代えがたいゲバラだった。

その轟のゲバラに対峙するカストロを100期生の風間柚乃が堂々と演じている、轟に対して一歩も引かないばかりか、位負けを感じさせないことにはただ恐れ入るしかない。もちろんそうでなければこの役柄は成立しないのだが、月城かなと休演に伴い芸歴35年の轟に対して100期生の風間にカストロを任せようと決断したスタッフ側の勇気も、そのチャレンジを見事にやってのけてしまう風間にもただただ驚愕させられる。実際「末頼もしい」という言葉をこの逸材にはこれまでも使ってきたが、このカストロの重厚な演技に関しては「末恐ろしい」という言葉がむしろしっくりくる。歌声も良く伸びて、政治家であることとゲバラとの友情との狭間で苦しむカストロの心情も見事に伝え、この人はこれからどこまで行くのだろうかと恐懼するばかりだ。

ゲバラと結婚する大学生アレイダに扮した天紫珠李は、単身山の奥深くゲバラたちに軍資金を届ける肝の据わった女性像が、元男役の出自を持つ天紫にベストマッチ。ゲバラのドン・キホーテに対してドルシネア姫ではなく、どこまでも付き従うサンチョ・パンサだと自ら名乗る関係性もよく考えられていて、キビキビとした動きも役柄をよく表現している。時折歌声に不安定さが残るのは今後の課題だが、こちらは課題があってむしろ当然の101期生。轟との共演で得たものを是非活かして進んでいって欲しい。

他にも周りの役柄が非常によく書きこまれているのがこの作品の強みでもあって、前述したルイスの礼華はるとレイナの晴音アキ、レイナの兄ミゲルの蓮つかさが運んでいくもうひとつのドラマが、作品に与えた膨らみが大きい。革命が成就した喝采の中に、彼らの運命が動いていくことにリアリティがあり、はじめ宝塚らしい華やかな場面を入れる為か?と思わせたレイナが踊るキャバレーのショーシーンから、途切れずにつながっていく展開が見事。定評ある歌ばかりでなくダンス力にも秀でている実力派の晴音や、闘いの場面でも見事な踊りっぷりが目を引く、そもそもゲバラとカストロを出会わせる役柄の蓮の力量が共に活かされた。礼華もここまでの大役は初めてだと思うが、姿の良さが際立っていて、優しい持ち味も二枚目らしく、姿勢が整ってくると更に良くなるだろう。期待したい。
彼らに立ちふさがるバティスタの光月るうが、俗っぽさと同時に適度な器の小ささを出したのも効果的だし、ニューヨークのマフィア・ランスキーの朝霧真の苦み走った個性と芸風が役によく合っている。ゲバラの友人のエル・パトホの千海華蘭の明るさが目に残るからこそ、後々に絡む展開が切なくこの人も大変重要なピースとしての役割を果たしている。一方、そこまでの描写がないながら、ゲバラに心酔したことがストレートに信じられるギレルモの輝月ゆうまの味わいは貴重で、豊かな歌声がラテン民族が根底に持つ明るさをよく表現している。その弟エリセオのきよら羽龍も「頭で考えること」の大切さを伝える少年役を真摯に務めた。
カストロと志を共にする仲間の中では、ラミロの春海ゆうの鋭さと、緩衝材的な役割を果たすカミーロの蒼真せれんが、同じ反政府軍とは言え様々な考え方をする人物たちがいるリアルを良く伝えている。ニューヨークタイムズの記者ハーバートの佳城葵が立ち姿から異質さを感じさせて、重要なアクセントになっていて、特に冒頭の現代のキューバでゲバラのペイントの前で立ち尽くす観光客を演じているのが意味深い効果になり、これは原田のキャスティングの妙としても面白かった。ギレルモの妻イサベルの香咲蘭、レイナに重大な真実を告げるローラの叶羽時も、多くない出番の中で役柄を際立たせて力量を感じさせた。

何よりも彼らが闘い、切り拓いてきた「自由」と「理想」をあなたはどう受け留めていますか?と、決して大向こうからではなく静かに訴えかけた作品の美しさがいつまでも胸に残り、宝塚歌劇団が異色の題材に取り組みつつ、宝塚歌劇団でしかできない作品へとこのテーマを昇華したこと。轟悠と月組生のキャスト陣と、原田諒と松井るみをはじめとしたスタッフワークの功績を、長く記憶すべき舞台になっている。

【公演情報】
ミュージカル『チェ・ゲバラ』
作・演出◇原田諒
出演◇轟悠(専科)、他月組
●7/30~8/5◎東京・日本青年館ホール
〈料金〉S席8,800円 A席6,000円
〈お問い合わせ〉宝塚歌劇インフォメーションセンター 0570-00-5100
●8/11~19◎大阪・梅田芸術劇場シアタードラマシティ
〈料金〉8,800円
〈お問い合わせ〉梅田芸術劇場シアタードラマシティ 06-6377-3888

 

【取材・文・撮影/橘涼香】

 

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