【一十口裏の「妄想危機一髪」】第81回 給料日
日本の「媚び」の輸出量は、今や世界第三位。
国内の経済活動も、ほぼ媚びの売買によって成り立ち、
どの企業も媚びの量産と、媚びの品質向上に、躍起になっている。
つまり今日もコンビニには媚びしかない。ほんの少しの媚びしかない。
いらっしゃいませーと小さく媚びる店員に、どうもーと小さく媚びて店を出る。
腹が減り喉が乾くも、取引先に電話で媚びメールで媚び直接媚びに媚びて、一日が終わる。
国にも国民にも、売れるものはもう媚びしかないので仕方がない。
駅前の居酒屋で、ほんのひと媚びして貰い、ほんのひと媚び返して帰宅する。
一方、首脳会議で各国首脳に、気前よく媚びて回る、各国首脳。
その媚びの大盤振る舞いを眺めながら、今日も気が遠くなっていく。
ビルのモニターに大写しになった日本首相の媚びは相当なものだ。
流石、媚びだけで首相になった男だ。いや、彼だけではない。
政治経済における主要な人物の媚びへつらいは、日本を動かし、日本を救う。
それに比べて、俺の媚びの貧しさたるや。
こんな俺にも彼女が居た。彼女は同じ部署の後輩で。俺同様に媚び下手で。
いつしか行動を共にする事が多くなって、いつしか自然と付き合い始めた。
お互い何も喋らずに身を寄せ合う。それだけで満たされた。
一生を共にするなら、彼女しか考えられないと思った。
しかし、そんな彼女だったのに、付き合い始めて、彼女は変わった。
意味もなく俺に、微笑みかけるようになった。
意味もなく俺に話しかけ、意味もなく俺に優しく触れた。
そうして彼女は頻繁に、俺に媚びてくるようになったのだ。
俺は驚いた。大人しかったはずの彼女の、その媚びの豊かさたるや。
愛らしく、心地よく、あの手この手で、媚びてくるのだ。
すると思わずいくらでも、媚び返したくなるのだ。
彼女以上に、その倍以上に、媚びに媚び返したくなるのだ。
そうして俺のわずかな媚びを、瞬く間に、奪っていく。
どうしてそんな事をするのか。俺は何度も問い正した。
どうしてそんな事を言うのか。彼女は何度も謝った。
しかしそうして謝る時でさえ、彼女は可愛い顔を見せて俺に媚びたのだ。
こんなにがめつい女だとは、思いも寄らなかった。
俺は驚愕し、恐怖した。このままではいけないと思った。
何度も何度も怒鳴り散らして、掴みかかって殴りかかった。
しかし彼女は泣き顔さえも可愛く媚びた。だから俺はその鼻を殴り潰した。
そうしてようやく、彼女は俺から離れた。
なんて酷い世の中だ。隙あらばだ。
両親さえも、優しい声で言う。元気でやってるか。体は大丈夫か。
野良猫さえも、小さく鳴いて擦り寄ってくる。餌をくれ。撫でてくれ。
俺は表情一つ変えずに、電話を切って、猫を思い切り蹴り飛ばす。
節約節約。
今月はもう、余計な媚びは一切買えない。売れる媚びは残っていない。
同じく表情一つ変えずに歩く人々と、一緒になって俺も歩く。
24時間営業のスーパーの店員の、媚びた笑顔を横目に見る。
腹が減り喉が乾くも、皆、媚びだけを買い、媚びだけを売り、毎日が過ぎていく。
ああ、給料日が待ち遠しい。
皆、そのために日々を過ごす。皆、それを待ちわびる。
給料日には経理部長が、俺に媚びてくれる。俺に媚びへつらってくれる。
あの、ツンと匂うスーツとカサついた頰で、優しく俺に、媚びへつらってくれる。
気が遠くなりながらも、それだけを楽しみに、過ごす毎日だ。
【著者プロフィール】一十口裏
いとぐちうら○ 「げんこつ団」団長
げんこつ団においては、脚本、演出のみならず、映像、音響、チラシデザインも担当。
意外性に満ちた脚本と痛烈な風刺、容赦ない馬鹿馬鹿しさが特徴。
また活動開始当初より映像をふんだんに盛り込んだ作品を作っており、現在は映像作家としても活動中。
げんこつ団公式サイト
http://genkotu-dan.official.jp/
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