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【一十口裏の「妄想危機一髪」】第79回 おしゃれブティック

結子はいつも歪んでいる。

結子は物を捨てられず、何から何まで取っておいたし、
新たに物を拾って来ては、家に蓄えた。
もともと狭い結子の家は物の山で埋まり、
物の山はあっという間に、結子の背丈を越した。

重く硬く積み上げられた山はやがて連なり、
結子の背丈の上に新たな大地を作った。
その大地の上に住むのは、
その大地から発生した虫や細菌だけだった。

「はい、こちら時空ポイント番号58463 “ファンシー・カナリア” 」

ところで商店街に古くからある、奥様向けのブティックから声が聞こえる。
いつも客の居ないブティック。店員さえほぼ見かけないブティック。
あそこは時空ポイントだったのか。

家の中に出来た物の大地の上に、這い上がることは不可能だ。
その大地の地溝は深くて底が見えない。
その地中に出来た洞窟もまた、新たな物で埋まっていった。
窓の上まで達した大地はもう揺るがない。
そこに人が存在出来るだけの隙間はない。

「はい、こちら “ファンシー・カナリア”。おしゃれチュニックを追加で5点」

なのに結子は存在した。自炊もしたし洗濯もした。
横になって眠ったし、顔を洗って歯も磨いた。
よくよく見れば快適な隙間があった、というわけではない。
そこに空間は一切無かった。無い空間に、結子は何十年も存在した。

「おしゃれチュニックを追加で5点」

ところでチュニックとは、長いブラウスのようなワンピースのような、
ゆったりとした女性向け衣服のことだ。
色とりどりの、小花柄や大花柄や、ペイズリー柄がよく見られる。
商店街に古くからある奥様ブティックでしか、それは見られない。
それもそのはずだ。あれらはどこか、別の時空から仕入れているらしい。

結子は無い空間に暮らし続けた。
何故ならそこは結子の家で、結子が唯一ゆったりと寛げる場所だからで。
物が地層を作る前と同じように、結子はそこでゆったりと寛いだ。

「チュ、ニーック!」

ところで店頭に吊るされたチュニックが一着、
七色に眩く輝いたと思うと、その中から奥様が一人、現れた。
奥様はそのチュニックに身を包み、両手で自分の身体をさすった。

結子の今いる空間は、つまりマイナス空間だ。
ゼロとなった面積は、やがてマイナスに転じた。

6坪あった部屋の面積は、暮らせるスペースが徐々に減り、やがてゼロとなった。
その後も暮らし続ける事で、それは必然的にマイナスに転じた。
そうしてプラス6坪は、やがてマイナス6坪となった。
そうして全ての部屋が、マイナス坪に。家全体が、マイナス坪に転じた。

「あら奥様、お元気してた?」

そこで結子は変わらぬ生活を送り、今も物を増やし続ける。
マイナスにいくらマイナスを足してもマイナスで、面積はそのぶん広がっていく。
結子は満足だ。何も問題はない。
結子は物を増やし続け、優雅にお茶を飲み、好きな本を読む。

「あら奥様、お久しぶり!」

ただその時空は歪む。
プラス坪と同じように見えて、
マイナス坪の時空はマイナス分、プラス坪とは違っている。
その時空は歪んだので、そこに暮らし続ける結子も、常に歪んでいる。
歩くたびに伸び縮みし、時に眩く点滅し、時に完全に消滅する。

ひとたびプラス面積の表に出ると、結子はその重力に絡め取られて、
斜めに傾き続けてしまい、真っ直ぐには決して歩けない。
髪の毛は逆立ち、目からも鼻からも、変な汁が飛び出る。
口からは常に、変な音が漏れ出し続ける。

身体中から時空の歪みの残り香が沸き立って、誰もが結子を避けて歩く。
もし人に触れれば、人はそれに絡め取られて、飛んでいってしまうかもしれない。
だから結子も人を避けて歩いた。すまなそうに幸せそうに微笑みながら避けて歩いた。

「あら奥様」
「あら奥様」

ところで “ファンシー・カナリア” の店頭に吊るされたチュニックからは、
奥様方が次から次へと現れ、楽しそうに挨拶を交わしている。
どうやらチュニックは、別の時空の出入り口となっているようだ。
奥様方ははしゃぎながら、新しいチュニックを選び始める。
色々な時空の奥様方が、そこに集っているようだ。

結子は今日も色々な物を家に持ち帰り、満足して眠りにつく。
ただちょっとだけ寂しい。もう誰とも触れ合うことが出来ない。
誰に話しかけてみても、その言葉はもう通じない。
ふと思い立って古い友人に電話をかけてみても、変なところに繋がるだけだ。

「はい、こちら時空ポイント番号58463 “ファンシー・カナリア” 」

結子はチュニックを、一着も持っていない。

 

【著者プロフィール】一十口裏
いとぐちうら○ 「げんこつ団」団長

げんこつ団においては、脚本、演出のみならず、映像、音響、チラシデザインも担当。
意外性に満ちた脚本と痛烈な風刺、容赦ない馬鹿馬鹿しさが特徴。
また活動開始当初より映像をふんだんに盛り込んだ作品を作っており、現在は映像作家としても活動中。

げんこつ団公式サイト
http://genkotu-dan.official.jp/

 

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