【一十口裏の「妄想危機一髪」】第76回 カウント
「ああ、剥製にして客間に飾ってあるよ。
あまりによく出来た子だったから、ついね」
交差点でばったり会って、特に話すことがなく、
お孫さんのことをきいてみたら、高田さんは笑って言った。
確かに高田さんのお孫さんはとても利口で、運動もよく出来る。
と。妻か何かが、言っていた気がする。
なんせ剥製にするくらいだ。さぞかしご自慢なんだろう。
ちょっと寄っていくか。ちょっと見ていくか。
照れ臭そうに笑いながらも、高田さんはしつこかった。
いやもったいない。いやまたそのうち。
照れ臭そうに笑いながらも、俺は頑なに断った。
当然だ。誰がそんなものを見に行くか。羨ましい。
高田さんとようやく別れて、俺は口を歪めた。
幸せそうな人を見るとこんなに苛立つようになったのはいつからか。
昔からか。それこそ子供の頃からのような気もする。
そんな俺は剥製にされることなく、ここまで育ちに育ちきった。
そしてすでに腐りつつある。或いはもう腐りきっている。
街の広告に溢れるニセの笑顔にさえ腹が立ち、
仕方なく空を見上げれば、空に浮かぶ数字が、また一つ減った。
そう。いつからか、空に数字が浮かんでいる。
それは誰もが見ているもので、世界中の人が見ているもので、
俺の気が変になっているのではなく、ふわふわと浮かんでいる。
そうして俺に、なんらかの数を見せている。
「14,998,229」
何の数だかは、分からない。
推測やら研究やら考察やらは、各国各地で充分にされた。
されて尚、分からない。
俺は妻に愚痴った。帰宅しても尚、モヤモヤとしていた。
それは妻にというより独り言だった。高田の爺さんのニヤケ顔。そのイヤラシさ。
それはいくら言葉にしても足りない。だから俺の言葉は止まらなかった。
しかしやめておけば良かったのだ。
妻の機嫌がどんどん悪くなっていくことに、俺は気づかなかった。
この話が面白くないのは、妻も同じ。いや、俺の数倍。
俺のモヤモヤを受けて、妻は爆発した。
頑張れど頑張れど、一人の子供さえ出来ない俺たちだ。
タイムリミットは迫っているか、とうに過ぎ去っている。
高田さんご自慢の息子夫婦は、さぞ鼻高々だろう。
毎日剥製を見ては、ニヤニヤしているに違いない。
高田の爺さんの何倍も、ニヤニヤしているに違いない。
耐えられないことだ。腹わたが煮え繰り返ることだ。
そうして俺が導火線に火をつけ、妻は爆発して、飛んでいった。
誰のせいだと、私のせいかと、
よく聞き取れない言葉を部屋中に撒き散らして、飛んでいった。
残されて俺は、夕飯はどうするんだと、途方に暮れた。
それに、まだわずかに残されていたかもしれないチャンスも、またこれで遠のいた。
俺はため息をついた。全部俺の、自業自得じゃん。そう思って更にため息をついた。
そうして開けっ放しのドアを閉めに行くと、空の数字がまた揺れて、一、減った。
「14,998,228」
ああ、やはり子供の数なのか。
俺は薄々そう思っていたし、この時そう確信した。
しかし世界人口は75億だか7くらいと聞いたのに、随分少ない。
つまり剥製にされた子供が、それだけ居るということか?
よく出来た子供と、それを授かった両親が、それだけ居るということか?
俺は再度イラっとした。それにしても少ないが、ちくしょう。
そう思っていたのに、どうだ。
同じく職場結婚した同僚に、俺たちよりも大分後に結婚した同僚に、
初めての子供が出来た時にも、次の子供が出来た時にも、それは減った。
その頃からか。それは日々減った。どんどん減った。
しかもその速度は、だんだん早まっていった。
疲れて寝ようが、寝不足で起きようが、減った。
安らかに寝ようが、気持ちよく起きようが、減った。
妻と仲直りしようが、また喧嘩をしようが、減った。
やはり自分とは何の関係もないのかもしれない。ないんだろう。
そう思って道を歩いていて、なんとなく小石を蹴飛ばしてみる。
するとその瞬間に、また一、減った。
もしやこのせいか? 石が何か関係あるのか?
と、思わずキョロキョロ周りを見回すと、
俺がキョロキョロするのに合わせて、数字が減った。
また一、更に一、と。
そうして日々、数字は減って行く。
「10,003,001」
心もとない。
俺は空を見上げては、しゅんとした。
ほんのちょっとでも、増えることはないんだろうか。
ほんのちょっとでも、増やすことは出来ないんだろうか。
街行く人々に気づかれないように数字に向かって、
指を振ってみる。足を鳴らしてみる。舌を出してみる。ウインクしてみる。
そんなとき、数字はじっとしている。
揺れもしないし、減りもしない。
すました顔で、浮かんでいる。
減ってくれた方がまだマシだ! そんなとき、俺はそう思う。
バカみたいじゃないか。いやバカなのか。俺は更にしゅんとする。
そんな日々を繰り返す内に、俺の眉毛は少しずつ、情けなく下がってきた。
どうすりゃいいんだ。どうしろというんだ。
その両眉は、強く悲願した。
「108,011」
そんな日々を繰り返す内に、俺の両口端は、みるみる下がっていった。
俺のせいじゃない。なんだか知らぬが、お前のせいだ。
お前かお前か、お前のせいだ。
その両口端は、強く非難する。
「98,759」
気づけば、駅のホームに、そんな顔が溢れていた。
電車に乗れば、電車の座席にずらっと並んだ、老いも若きも男も女も、
その全てが一様に、同じような顔をして同じように、じっとりと座っていた。
息が詰まって窓から空を見上げようにも、そこにはあの数字。
「1,028」
ああ、もう戻れないんだなあ。
俺はかつての数字を懐かしく思う。
なんの数字か分からないけど。
もっと数が多かった時には、もっと世界が違っていた。
そんな気がする。そんな気がしてならない。
なんの数字か分からないけど。
この日、俺は帰宅すると、妻をぎゅっと抱きしめた。
いつしか妻の眉も口端も、随分下がりきってしまった。
しかしそれでも愛する妻だ。むしろ愛する妻だ。
何も言わずに抱き返してくれるその両腕に、俺は頬をうずめた。
子供なんて、居なくていいさ。お前さえ、居ればいいさ。
この日、俺たちは、抱き合って眠った。
ただ互いの体温を、静かに感じ合って眠った。
せめて平和に暮らそう。どんなに数字が減ろうとも。
全国的に、犯罪が増えている。世界的に、暴動も増えている。
それは加速的に増え、治まっていく気配はない。
それはそうだろうと思う。仕方のないことだろうと思う。
しかしそんな中でも、せめて俺たちは。
互いに言葉にはしなかったが、そう、確認し合った夜だった。
「 5 」
満ち足りた朝ではなかった。
でも久しぶりに安心できた朝だった。
でもカーテンを開けた瞬間に、俺の天地はひっくり返った。
声を出したと思ったが、声は出なかった。
息を吐いたと思ったが、息を吸っていた。
勢いよく喉を通過した冷気が、喉を猛烈に引っ掻いた。
変な音が出た。変な音で妻が起きた。
窓の外には聞いたことのない声や音が、沢山絡み合って響いた。
道では老婆が奇声を上げて飼い犬を蹴り飛ばし、
老爺が大泣きをしながら阿波踊りを踊っていた。
裸の男はそそり勃った男根に牽引されて走り去っていった。
裸の女はそそり勃った乳首に牽引されて走り去っていった。
5、ということは、あと、5。あと、5、だ。
俺は走り寄ってきた妻の体を両手で逆さに持ち上げると、
一気にフローリングの床に突き下ろし、脳天杭打ちを食らわせた。
たった、5、だ。たった、5、だ。
なんの数字か分からないけど。
遠くで何かが爆発し、近くで何かが燃える音がした。
嗅いだことのない匂いが、窓から部屋に流れ込んできた。
頭の割れた妻は、窓の外を見て泡を吹いた。
さっきの踊る老爺は、あれは、高田さんだったかな。
さっきの裸の男女は、あれは、高田さんご夫婦だったかな。
今は羨ましいも糞もない。今は妻が動かない。
俺は妻の口から溢れ出す泡を、ただ見つめている。
見つめたまま喉だけが、変な音を鳴らし続ける。
だって仕方がない。たった、5、だ。
なんの数字か分からないけど。
【著者プロフィール】
一十口裏
いとぐちうら○ 「げんこつ団」団長
げんこつ団においては、脚本、演出のみならず、映像、音響、チラシデザインも担当。
意外性に満ちた脚本と痛烈な風刺、容赦ない馬鹿馬鹿しさが特徴。
また活動開始当初より映像をふんだんに盛り込んだ作品を作っており、現在は映像作家としても活動中。
【公演情報】
げんこつ団『 サ ラ ダ 』
2019年11月14日(木)〜11月18日(月)@駅前劇場
脚本・演出/一十口裏 振付・演出/植木早苗
出演/
植木早苗 春原久子 河野美菜 池田玲子 望月 文 三明真実
皆戸麻衣 丹野 薫 し じ み 三枝 翠 天笠有紀 藤岡悠芙子
− 朽ちる家 蔓延る柱 溢れ出す収納 押し黙るサラダ −
げんこつ団公式サイト
http://genkotu-dan.official.jp/
▼▼▼今回より前の連載はこちらよりご覧ください。▼▼▼
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