【フォトグラファースギノユキコ with えんぶ WEB CLOSE to my HEART】21 池谷のぶえ
えんぶにて脚本家・演出家・俳優を撮り続けて約20年(長期中抜け有り)。
いわゆる非日常を創作する彼ら・彼女らの姿を
日常的でありながら、そっと風変わりな目でつかまえるスギノの写真。
このコーナーではえんぶ誌面では掲載しきれなかった
“スギノお気に入り”の写真達とともに演劇人を紹介。
インタビュー&写真から現れるその心にフォーカス。
File.21 池谷のぶえ
(2022年8月取材/撮影)
未知のものに 魅せられながら…
中学の部活から始めて40年余り。決して自ら強く望んだ訳ではない道を1作品、1作品、確実に繋いで来たここまで。ブルースカイから始まり、ケラリーノ・サンドロヴィッチ、野田秀樹、前川知大など様々な演出家の舞台を始め、映画、TVドラマ、CMなどでも活躍中の池谷のぶえ。まだまだ見たことのないような作品に出会う日を楽しみにしているようだ。
演劇を仲間と 作ることが楽しかった
――池谷さんといろいろお話をしている中での印象として、演劇に積極的にアプローチしているわけではないのに演劇が居場所になっていた、と認識しているのですが。
全くその通りです。
――中学校から?
そうです、中学校の部活から始まって、結局ずーっと演劇やってるんですけどね(笑)。
――普通、中学・高校から演劇やってる人って、アクティブにやってる人が多いと思うんですけど。
今思うと、演劇が楽しかったのか、仲間と作ることが楽しかったのか、どっちなのかは分かりませんが、楽しいなと思って一番積極的にやっていたのは高校の時ですね。
――それまで他の表現などに興味はあったんですか?
漫画が好きだったくらいで…。現実と違うもの、ファンタジーに興味があったのかもしれないです。自分という人間の内面も外面も好きじゃ無かったから…。演劇って変身ができるじゃないですか。だからそういうところを欲していたのかなとは思います。
――それは大学に行っても変わらなかった?
何かに変身というか、自分じゃないものになりたいみたいな気持ちは、多分ずっとあったのかもしれないです。
「池谷さんの演技は 眠くなるね」って
――大学に行ったら環境が変わりましたか?
急に手厳しくなりました。1年生の時に入った劇研で、先輩から「池谷さんの演技は眠くなるね」と言われて。えっ?!って。
――(笑)。
高校までは自分がどんな演技をしているかなんて考えたことがなかったので、「眠くならない演技」って何だろうってすごく考えました。ここで暴れたら次で静かになってみたいな、簡単に言えば緩急のようなものをやってみたら、すごく評判がよかったんです。
――それはお客さんに?
はい。アンケートで何人かのお客さんから褒めていただいて、それがびっくりするくらい嬉しくて。今みたいにSNSなんてないですから、本当にその紙だけなんですけど。
――それは嬉しいですね。
そこでちょっと表現を構築じゃないですけど、考えていくみたいなことに興味を持ったかもしれないです。
――自分で考えて参加していくってことですね。それから30年。
30年経ちました(笑)。
一応劇団には しようかってことで
――その後ブルー&スカイさん(※1)と出会います。
私が3年生の時にブルー君が1年生としてサークルに入って来たんです。
――彼との出会いは池谷さんの俳優人生、演劇人生で重要ですよね。
めちゃめちゃ重要ですよ。その出会いがなければ今は無いと思います。
――そこで劇団を作った?
私が4年で就職活動している時期に、小村裕次郎とブルー君が私と仲が良かった島田圭子を誘ってくれて、4人で卒業公演みたいなのやったんです。それが4年生の3月。
――じゃあまだ劇団名も決まってない?
一応劇団にはしようということで、猫ニャーっていう名前は付けていました。
――それで池谷さんは卒業します。
私は就職したので、もう演劇はやらないと思っていたんですけど、誰かが池袋のシアターグリーンフェスティバルの情報を持ってきて。これに参加すると安くできるみたいだよと(笑)。
――悪魔の誘いですね(笑)。
今思えば、ブルー君と小村君はあんまり学校も面白くなかったのかな…。それで前に作った一回こっきりと思った猫ニャーを使って、やってみようかってことになって。
――それでこのまま劇団をやろうって決意をしたと?
決意もしてないですね(笑)。流れで、一回できたから次もやってみるか、みたいな。劇団やっていこうみたいなことを話し合うこともなく、なし崩し的に。
ブルー&スカイさんとは うまく会話にならない
――猫ニャーはどれくらい?
10年やりましたね。
――池谷さんは俳優としてもがんばりつつ、裏方的ポジションでも劇団を支えていましたよね?
その時はみんなそれが当たり前っていう感じでしたから、積極的に支えた記憶はないです。むしろブルー君と何を喋っていいかわからないくらいで(笑)。
――え、どうしてですか?
彼が考えてることがよくわからなかったんです。私が全然わからないようなことを彼は見ているような気がして。引け目のようなものを感じていました。だから全く理解してあげてない部分があって…。
――そういう池谷さんの佇まいが猫ニャーの芝居にピタリと合っていたというか…うまく言えないんですけど。
ちょっとわかります。理解してなかったから、何かがあったのかもしれないなって。
――猫ニャーの表現の幅が広がる要素になったのかもしれないですよね。
ある意味ね(笑)。
――猫ニャーで特に気に入ってる作品とかはあるんですか?
やっぱり始めの頃の作品はわからないなりにも、新しいというか、何か見たこともないものをやってるなという感覚はものすごくあって、それに対してはワクワクしましたね。
――観ていてもそんな感じがしました。
だからそれを観てくださった方が「こういうとこがすごい」「素晴らしい」って言葉にしてくださるのに、びっくりするというか…。こっちはそんなこと考えたことないのにと。その言葉たちに飲み込まれそうになる感覚が続きましたね。
――それはいつ頃まで続きましたか?
だいたい20代後半くらいかな。
はじめてちゃんと居酒屋で 4、5時間話しました(笑)
――ナンセンスコメディと言いますか、ああいうスタイルの作品を作り続けるのは本当に大変なことだと思います。
そうですよね。書きたいっていう気持ちがないと絶対書けない。ただの素敵な物語とかもないですから、書けないときは本当に書けないでしょうね。
――劇団の最後の方で、ブルー&スカイさんと劇団の在り方について話したことがあったと言っていましたよね。あれは、いつ頃でしたかね?
旗揚げしてから10年くらいかな…。
――その間に話せるくらいに距離が近づいたってことですか?
そんなことは全然なくて。
――(笑)。
結局ずーっと話さないまま。もう、ブルー君は気持ち的にあんまりうまくいってはいないなと感じていたんですけど、新しい人達も入ってきて育てていかなきゃっていう時期だったんです。だから、新しい人達が活躍できるように私がわざと一回公演を休んだら、ブルー君がこれでやめたいって言い出したので「ちょっと待ってくれ、9年間やってたのに最後私出てない」って(笑)。そこで初めてちゃんと居酒屋で4、5時間話しました(笑)。
――実のある話になったんですか?
本人はすぐやめたいって言ってたんですけど、最後に一回出させて欲しい、解散公演をやりませんか?って私が言ったら、じゃあそれはやりましょうってことで一年後に解散公演をやりました。
――それは納得のいくものになったんですか?
はい。解散っていうけじめになったので。
ENBUゼミで 働くことになりました
――1998年からENBUゼミ(※2)で一緒に働くことになりましたね(笑)。
(笑)。それも少なからず自分に影響はあった気がします。そこまで広く演劇のことを考えたことなかったから、そうか、講師の方やいろんな生徒さん達がいて、こんな世界があるんだなって。どう具体的に影響が繋がったかはわからないですが、10年くらい関わったので。
――その間に色々な動きがありました。
ENBUゼミで働くようになって父が亡くなり、外部の公演に出るようになって劇団解散…ってバタバタと…。20代最後から30代中頃ですね。
――劇団を解散した頃はどんな舞台に出てましたか?
2000年始めの頃はKERAさん(※3)、野田さん(※4)とか…。
――すごいですよね。
でもそれも…、ENBUゼミで講師をしてくださっていた長谷部浩さん(※5)が…。
――演劇評論家の長谷部さん。
授業でいらした時に私が事務員として働いていたら、「NODA・MAPのWSオーディションがあるから池谷さん行きなよ、今日が〆切だよ」って言うんです。「いやいやいや私写真ないから」と言うと、同僚の佐々木睦美さんが、「じゃあ私が今、写真撮ってプリントアウトしてあげる」って。その頃は難しかった技術を駆使してくれて(笑)。断り切れなくて目の前で書類を作って、〆切日だったので電話をしてNODA・MAPの事務所に直接持って行きました。それがなかったら…長谷部さんや佐々木さんのおかげです(笑)。
KERA作品を皮切りに 外部出演への道が広がる
――そのころKERAさんの作品に出ますね。
KERAさんの作品に出たのが外部出演の皮切りで、そこから色々広がっていくようになりました。ブルー君の作品をKERAさんが観てくれていたってことが大きくて、それで私を使ってくれたと思うんですけど。
――KERAさんとの出会いはブルースカイさんに続く大きな出来事でしたね。
KERAさんがいなかったら、私こんなにお仕事してないと思います。
――池谷さんが思うKERAさんの面白さってどこらへんなんでしょう。
なんて言ったらいいのかな…ご自身がどう思ってるかわからないですけど、役者さんや音楽や色んなものをふぁーって見渡して、そのとき素敵だと思うものを瞬時に見極める力というのがすごいですね。それと、稽古をしていて嬉しいのは「生理的にどう? ちゃんと通ってる?」ってどんな変なシーンでもいつも聞いてくれるんです。私もブルー君とやっていたときから、わからない気持ちはわからない気持ちでいいけど、ちゃんとしたわからない気持ちで通していこうというと決めていたから、私の中では大切にしている部分なんです。
――そんな中、2011年に帝国劇場で『風と共に去りぬ』(※6)に出ました。
わあ、すごいの出てきた(笑)。
――びっくりしました(笑)。
でもその後まったく帝劇さんから音沙汰なくて(笑)。ダメだったんですかね。
――いやいや。あれは“小劇場”を観ている人間としては「あの池谷さんが!」ってけっこうインパクトありました。帝国劇場(※7)は面白かったですか?
面白かったですね。今まで経験したことないような…やっぱり帝国感がありますよね(笑)。
――(笑)。
母の姉妹たちが観に来てくれて、楽屋でみんなでお茶飲んだの覚えてます(笑)。それまでは、私の血縁関係で芝居を観に来るなんて妹くらいだったので。
――よかったですね。
帝劇じゃないと観に来てくれない(笑)。
――他に心に残ってる舞台はありますか?
私、恋愛物の役があんまりこないんですよ。
――…?
(笑)。恋愛物の役柄がこれまで3回くらいあって。すごく楽しいなということがわかったんです。
――自分が恋愛する立場になる役ってことですね?
そうです。世の女優さんはこんな楽しいことを毎回やってるんだって発見したとき衝撃的でした。こりゃ演劇楽しいって言うよなって。
――(笑)。
自分で工夫できる作品が ワクワクする
――映像でも活躍していますが、演劇の方が好きなんですか?
圧倒的に好きですね。
――演劇の方が緊張しませんか?
私は映像の方が緊張します。稽古があまりなくて、シーンも急にやらなきゃいけないことが多いので、こわくて。演劇は、はじめから終わりまで通してみんなで作っていくから、こんな贅沢なものないって思うというか…。
――映像で印象に残っている作品などはありますか?
大根仁さん(※8)が呼んでくれたドラマ『湯けむりスナイパー』(※9)とか、映画『モリのいる場所』(※10)とかは嬉しかったですね。
――10年くらい前ですが、TVの『野田ともうします。』(※11)池谷さんの亀田役、話題になりましたね。
あれも自分で工夫のしがいがあった作品でしたね。そういう自分で何かを考えてやれるような作品がワクワクするのかな?
――やはり自分で工夫できる役がおもしろい?
ヒステリックなおばさんとか普通のお母さんのイメージで呼ばれることがけっこうあって…安易にカテゴライズされた役はまたか…と思っちゃいますね。
――最近の作品で印象に残っているものは?
映像で言ったら『妖怪シェアハウス』(※12)はおもしろかったです(笑)。普段映像ではできないことをやらせてもらえてよかったです。
――舞台はどうですか?
舞台はいろいろあるのですが、コロナでできなかったりしたから…。イキウメ(※13)の『外の道』(※14)は刺激的でした。あれはある意味色んな事考えました。
――前川さんの作品には以前も出ていますが、『外の道』は責任の重い役だったと思いますが、いつもと違いましたか?
そうですね…。ちょうどその頃体調を崩していて。コロナで幕が開かない可能性もあるけど、もしかしたら私のせいで幕が開けられないかもしれないな、っていう感覚があって。でもイキウメの人達が変な気の使い方をせずに、みんなが作品作りに集中していたので、私もそっちに集中できてありがたかったです。
池谷さんは ちゃんとしたい人
――俳優として活躍されているなかで、うちが原稿を書く仕事をお願いしています。以前に単行本 (※15)を刊行して、現在は『池谷のぶえの「人生相談の館」』(※16)というコラムをwebで連載中で大変好評です。書くのは大変ですか?
そんなことはないんですけど最近、自分の文章にパターンがあるなと思い始めていて。もうちょっとうまいこと答えられるといいですね。
――それは人生経験とか?
そう。あと、知識。
――かなり調べてますよね。
そうなんですけど、普段から興味あって調べてることじゃないから、その時に突発的に調べているので深みがないんですよね(笑)。
――弊社としては今後もがんばっていただきたいのですが。
私は書くのが割と好きなんだと思います。理論立てて話すのがあまり得意ではないので、書くことになると訂正したりして内容を整えることができるから、言いたいことがきちんと提示できるイメージがありますね。
――元々池谷さんはちゃんとしたい人ですよね。
(笑)。ちゃんとしてるように見られたい人なんだと思います。
――昔よく怒られるの嫌だと言ってました。
今も嫌です(笑)。
高校の時の 夢が叶った
――声優としても大活躍ですね。『ふしぎ駄菓子屋 銭天堂』の紅子さん大人気ですね。
そうですね…声優は映像よりも難しいです。演技っていう意味では一緒なのかもしれないですけど。別の技術が要求されますよね。そう考えると演劇は自由というか、私にとってはのびのびできる場所なんだなと改めて感じます。
――じゃあ当分は演劇をがんばる?
(笑)そうですね。でも高校の時、友達に「のぶえちゃん将来なにになりたいの?」って聞かれたときに「声優とかいいな」って答えたのを覚えていて、ほんのり叶ってるんだなって。
――すごいですね。
でも夢が叶うだけじゃ、ね…。
――なんて贅沢な。
夢が叶ったら喜びがあると思っていたから。仕事になると色々難しいんだなとわかって。子ども達が喜んでくれるとうれしいなとは思うんですけど。
――なるほど…。
まだまだ課題がたくさん!みたいな感じですね。
――課題がたくさんあっていいですね。
※編注
本文中の池谷さんの発言で、ブルー&スカイさんの呼び名が「ブルースカイ」「ブルー君」などと発言の内容によって変わりますが、全てブルー&スカイさんのことです。
※1 ブルー&スカイさん
劇団猫ニャーの全ての公演の作・演出を担当。池谷さんの大学劇研の2年後輩部員。新入生として初めて部室へ入るとき、小さな部屋の入り口をかがんで入って来た長身の小村裕次郎(後の猫ニャーの主宰者)のすぐ後から、ブルー&スカイがそんな必要もないのにかがんで入室。その様子をたまたま見ていた池谷さん曰く「誰に向けてやっているわけでもない。この人なんなんだろう…って、わたしが彼に持った一番はじめの違和感ですね」。
※2 ENBUゼミ
1998年に演劇ぶっく社が設立した学校で、開校時の専任講師はいのうえひでのり、加納幸和、ケラリーノ・サンドロヴィッチ、成井豊、平田オリザ、松尾スズキ、松本雄吉、安田雅弘の8人。
※3 KERAさん
ケラリーノ・サンドロヴィッチ。劇作家、演出家、映画監督、ミュージシャン、俳優。ナイロン100℃、KERA・MAP、ケムリ研究室などを主宰。池谷さんは、1998年に猫100℃―公演『山脈』に出演しているがこの作品のKERAの担当は企画と傍観。以降多くのKERA作品に出演している。
※4 野田さん
野田秀樹。劇作家・演出家・役者。東京芸術劇場芸術監督、多摩美術大学教授。東京大学在学中に「劇団 夢の遊眠社」を結成、92年解散。93年に「NODA・MAP」を設立。池谷さんは2017年の公演『足跡姫』~時代錯誤冬幽霊(ときあやまってふゆのゆうれい)などに出演している。
※5 長谷部浩さん
演劇評論家、東京藝術大学(美術学部先端芸術表現科)教授。著書に『野田秀樹の演劇』『天才と名人 中村勘三郎と坂東三津五郎』『演出術(蜷川幸雄/共著)』などがある。
※6 『風と共に去りぬ』
南北戦争を背景に農園主の令嬢スカーレット・オハラの半生を、彼女を取り巻く人々とともに壮大に描いた作品。池谷さんが演じたマミーは、スカーレットに仕える忠実で礼儀作法に厳しい女黒人奴隷。
※7 帝国劇場
1911年3月1日に開場した劇場で、帝劇の通称で知られ、紆余曲折を経て、現在は(株)東宝が運営。収容人数は1、2階席合わせて1897人。
※8 大根仁さん
(株)オフィスクレッシェンド取締役。演出家・映画監督。『演技者。』『アキハバラ@DEEP』『湯けむりスナイパー』『モテキ』『エルピス―希望、あるいは災い―』などを演出。
※9 『湯けむりスナイパー』
“源さん”と名乗って秘境の温泉旅館で働く殺し屋の周辺に起こる人間ドラマを描いている。池谷さんの役は、山岸トモヨ(カトリーヌ山岸)、地元で隠遁生活を営む謎の女(元ストリッパー)で、源さんとは、やがて男女として惹かれ合うようになっていく。
※10 映画『モリのいる場所』
30年間、ほとんど自宅から外出せず庭の生命を描き続けた画家熊谷守一を主人公に、晩年のある1日を描いた映像作品。守一を山崎努、その妻を樹木希林が演じ、池谷さんはモリの姪で熊谷家の家事を手伝う美恵ちゃん役。監督は沖田修一。
※11 『野田ともうします。』
一風変わった女子大学生・野田とその周囲に集う人たちの日常を描いた柘植文の漫画をドラマ化。池谷さんは、野田のウエイトレス仲間亀田さん役(夫は既に他界、年齢は55歳(TV版では45歳)ピョン様のファン)を演じている。
※12 映画『妖怪シェアハウス』
2022年、-白馬の王子様じゃないん怪-とのサブタイトルを付けてテレビドラマを映画化。小芝風花がかわいらしく主演。池谷さんはシェアハウスの座敷童子兼まかない担当? 劇中でシャウトするヘビメタソングは必見!
※13 イキウメ
2003年に劇団結成。 劇作家・演出家の前川知大が主宰。オリジナルのSFやオカルト的な作品を創作し続け、日常生活の裏側にある世界から人間の心理を描く作風で注目を集める。 劇団名は「生きたまま彼岸を覗く」という作劇コンセプトに由来する、とか。
※14 『外の道』
池谷さんが出演した本作について、雑誌えんぶ30号で前川知大が「時代も地域性もない、すごく抽象化された世界を舞台に、僕らが今感じている生きづらさや、この社会がどんどんダメになっている感じをすくい上げていくような話になりました」と話している。
※15 『贋作 女優/池谷のぶえ~涙の数だけ、愛を知る~』
演劇キックの人気連載作品を(株)えんぶが単行本化。ハラハラしまくり、おもわずの落涙してしまう、贋作と銘打った「ずいぶん限りなく事実に基づいた」(著者談)“愛”の半生記。▲画像クリックで買えます。
※16 『池谷のぶえの「人生相談の館」』
「むしろこっちが人生相談したい気持ち満々のコラム、「池谷のぶえの人生相談の館」です。」の書き出しで始まるweb site演劇キック内「日刊☆えんぶ」月イチ連載(第3木曜日更新)の人気コラム。▲バナークリックで読めます。
【池谷のぶえプロフィール】
いけたにのぶえ○1994年から2004年の解散まで劇団「猫ニャー」(後「演劇弁当猫ニャー」)の劇団員として活動。2020年に上演されたねずみの三銃士「獣道一直線!!!」で、第28回読売演劇大賞優秀女優賞を受賞。近年の主な出演作に舞台「ほんとうのハウンド警部」「外の道」「イモンドの勝負」(21)、「お勢、断行」「À LA MARGE(外の道・パリ公演)」(22)、「重要物語」(23)、映画「浅田家!」「星の子」(20)、「妖怪シェアハウスー白馬の王子様じゃないん怪ー」(22)、TV「妖怪シェアハウスー帰ってきたん怪ー」「ザ・トラベルナース」(22)など。 著書に「贋作 女優/池谷のぶえ~涙の数だけ、愛を知る~」(発行:(株)えんぶ)がある。
【今後の予定】
【舞台】シス・カンパニー公演「帰ってきたマイ・ブラザー」
作:マギー、演出:小林顕作
2023年4/1(土)〜23(日)◎世田谷パブリックシアターほか、名古屋、大阪、福岡、西宮、新潟、札幌、仙台、京都公演あり
https://www.siscompany.com/produce/lineup/brother/
【舞台】EPOCH MAN 「我ら宇宙の塵」
脚本・演出・美術:小沢道成
2023年8/2(水)〜13(日)◎新宿シアタートップス
https://epochman.com/uchu2023.html
【映画】「銀河鉄道の父」
監督:成島出
2023年5/5◎全国公開
https://ginga-movie.com
【テレビ】Eテレ アニメ「ふしぎ駄菓子屋 銭天堂」
毎週金曜 18:40~18:50 / 再放送 毎週土曜 17:45〜17:55
声:銭天堂の店主・紅子役
https://www.toei-anim.co.jp/tv/zenitendo/
【コラム】演劇キック 日刊☆えんぶ「池谷のぶえの人生相談の館」 http://enbu.co.jp/category/nikkanenbu/iketani/
【コラム】福岡のエンタメ情報誌 シアタービューフクオカ「めずらしく体調のいい日に」 https://tvf-web.com
【スギノユキコプロフィール】
すぎのゆきこ○神奈川県出身。
日本女子体育短期大学舞踊科卒業。
在学中に演劇好きな友人に連れられ
初観劇。たまたまその公演後オーディションがある事をチラシで知り、
勢い余って受けた事がある為、今でも爆風スランプRunnerが耳に入るとゾワゾワする。
通信社等を回り、写真を学ぶ。
instagram▶https://www.instagram.com/sugino_yukiko/?hl=ja
【写真展】
『一号室のミドリガメ』
@横浜 マリナード地下街(JR関内駅北口 地下鉄関内駅直結)
2023/3/25〜4/2(通行可能時間5:00〜0:00)
(※3/25入れ替え作業あり、最終日の通行は17:00まで)
@大阪 galerie SPUR
2323/4/10〜4/16(13:00〜19:00※最終日17:00まで)
(水、木曜日 休廊)
https://www.galerie-spur.com/category/upcoming_exhibitions/
【インタビュー◇坂口真人 構成・文◇矢﨑亜希子 (池谷さん)撮影◇スギノユキコ】
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