望海風斗&真彩希帆コンビによる宝塚雪組公演『ファントム』
宝塚歌劇当代一の歌唱力を誇る雪組トップコンビ望海風斗&真彩希望を擁して、至福の音楽を届ける宝塚雪組公演三井住友VISAミュージカル『ファントム』が日比谷の東京宝塚劇場で上演中だ(10日まで)。
怪奇小説を代表する作品として知られるガストン・ルルーの小説「オペラ座の怪人」を基に、アーサー・コピット脚本、モーリ・イェストン作詞・作曲で生み出されたミュージカル『ファントム』は、1991年テキサスで初演。その後全米各地のツアー公演、更に世界各地での上演と、ブロードウェイで上演されていない作品としては稀有な成功を納めている。日本初演は2004年の宝塚歌劇宙組公演で、2006年、2011年の花組公演と回を重ねてきた。その過去2回の花組公演に出演していた望海風斗が、かねて念願だったというファントム役に挑んだ今回の4演目は、決定版とも呼びたいクオリティーの高さを誇る仕上がりとなっている。
【STORY】
19世紀後半のパリ。オペラ座通りで歌いながら楽譜を売る娘クリスティーヌ(真彩希帆)の歌声に惹かれたオペラ座のパトロンの1人シャンドン伯爵(彩凪翔/朝美絢Wキャスト)は、彼女に歌のレッスンを受けさせるべく、オペラ座の支配人キャリエール(彩風咲奈)の元を訪ねさせる。だが時を同じくしたオペラ座ではキャリエールが支配人の座を解任され、新たな支配人ショレ(彩凪翔/朝美絢Wキャスト)とその妻でプリマドンナのカルロッタ(舞咲りん)がオペラ座を牛耳ろうと画策。クリスティーヌも体よくカルロッタの衣装係にさせられてしまう。だが、オペラ座にいられるだけで幸せと喜ぶクリスティーヌの歌声を聴き、心震わせている男がいた。彼こそがオペラ座の地下深くに隠れ住むと恐れられる伝説の怪人=ファントム(望海風斗)だった。クリスティーヌが自分の音楽を託すに値する歌姫だと直感したファントムは、仮面で顔を隠したまま彼女を指導。瞬く間に歌の才能を開花させたクリスティーヌは団員たちが歌を競い合うコンテストに参加し、圧倒的な歌唱で絶賛を浴びる。そんなクリスティーヌをカルロッタはオペラ座で主役を歌うように推薦するが、そこにはライバルの登場を許せないカルロッタの計略が隠されていて……
アメリカで生まれたこのミュージカル『ファントム』は、作品そのものの誕生が主人公にあたかもシンクロしたかのように、数奇な運命をたどっている。元々アーサー・コピットとモーリ・イェストンがガストン・ルルーの小説「オペラ座の怪人」を基に、外見に欠陥を抱えながらも豊かな才能と純粋な心根の持ち主として、怪人と呼ばれた男の人生をミュージカル化しようと動きはじめたのは、1983年だったという。このテーマは今日本でも愛されている『ノートルダム・ド・パリ』等の成功例もあり、ブロードウェイへの上演を目指して着々と準備が進んでいたが、1986年同じ作品を原作とするアンドリュー・ロイド=ウェバーのミュージカル史に燦然と輝く傑作『オペラ座の怪人』がロンドンで開幕。同時にブロードウエイでの上演も決まり、ロイド=ウェバー版が世界を席巻していくのと共にミュージカル『ファントム』の出資者は潮が引くように去っていってしまった。その為ミュージカル『ファントム』が世に出るのには、更に年月を要したし、現実にブロードウェイでの上演は今も実現していない。知名度という意味でのみ言えば、ロイド=ウェバーの『オペラ座の怪人』がやはり遥かに高いのは、日本の演劇界に於いても変わらない事実だろう。
そんなコピット&イェストン版の『ファントム』本邦初演を担ったのが、宝塚歌劇団だったというのはやはり決して偶然ではない。実際劇団四季の『オペラ座の怪人』が一世を風靡した日本で、同じ原作を基にした別のミュージカルを上演しようというのは、計り知れないほどの勇気を必要とする決断だ。見比べてみれば両者には全く別のアプローチがあることがわかるが、それでも『オペラ座の怪人』がミュージカルのひとつの代名詞とも呼べる存在になっていた2004年の段階で『ファントム』の上演に踏み切ることができたのは、宝塚歌劇団自体が一般のミュージカル界とは一線を画す、ひとつのジャンルであったからに他ならない。もちろん『エリザベート』という宝塚歌劇団で初演ののち、一般ミュージカルの舞台として上演する作品の例はすでに登場していたが、当時両者は現代ほど近いところに位置してはいず、あくまでも互いが固有の文化だった。そのある意味の特殊性があったが故に、和央ようか&花總まりで初演されたミュージカル『ファントム』は、異形に生まれ付いたエリックの孤独な魂が辿る悲劇にファンタジーの香りも加味した、「宝塚歌劇」の世界の中で成立する作品になっていた。その色合いは春野寿美礼&桜乃彩音の2006年、蘭寿とむ&蘭乃はなの2011年、共に花組での上演時にも変わらないものだった。この宝塚歌劇での上演があった上で、梅田芸術劇場製作バージョンも日本に根付くことが可能になった経緯には、揺るがないものがあると思う。
だが、2011年の花組公演の後、宝塚でのミュージカル『ファントム』が沈黙を守っていた7年間だけを考えても、宝塚歌劇を取り巻く環境は激変を遂げていた。まず創立100周年という大きな節目を経て、かつて確かにあった女性だけの歌劇団=お嬢様芸という宝塚を斜めに見る目線が確実に減少していったこと。宝塚歌劇団の演出家である小池修一郎が日本ミュージカル界をも支える演出家となり、海外ミュージカルの初演をまず宝塚が担い、次いで一般ミュージカルとして上演されるという流れが、あたかも既定路線のようになっていったこと。世に「2.5次元」と呼ばれる漫画世界を苦もなく具現化する、美しき男優たちが続々と登場して、宝塚歌劇の男役と男優の差異を一気に縮め、海外ミュージカルではなく宝塚発のオリジナル作品も一般舞台で上演することが可能になったこと。これらの様々な要素が宝塚歌劇とミュージカル作品とを、非常に乱暴にくくるならば同じ土俵で語ることを容易にしているのが現代だ。
そんな2019年に、宝塚歌劇団に望海風斗と真彩希帆という、かつてトップコンビの歌唱力がここまで揃ってハイレベルな例があっただろうか?と驚かされるほどの歌声を持つ二人がいた。この奇跡が7年ぶりにミュージカル『ファントム』を自信をもって世に送り出すことを、宝塚歌劇団に決断させたのは論を待たないだろう。実際望海と真彩のこれが音楽の天才だ、これが音楽の天使だ、と誰をも納得させる歌の力と、それがあるからこその芝居の深み、豊かな表現力にはただひれ伏すしかない。
元々美しいものは心も美しい、「美は正義なり」の世界観の中で成立している宝塚歌劇にとって、外見に欠陥を持つ異形の主人公というのは、決して親和性の高い存在ではない。それが宝塚であるが故に欠陥の描き方には大きな制限があるし、その制限の中での表出だけを見ると、もちろん想像力で補う必要があるのはわかるが、この程度の欠陥で一目見た父親さえもが恐慌する、という設定を納得させるのがどうしても難しくなる。本当の姿を見せて欲しいと自ら熱望しながら、恐怖のあまり叫び声をあげて去っていくヒロインが、とんでもなく非礼な女性に見えるのも、宝塚と異形の表現とのせめぎ合いから生まれる言わば齟齬だった。
だが望海風斗のどこまでも伸びるロングトーンと魂の絶唱が劇場中に響き渡る時、それらの軋みは完全に雲散霧消していった。世間を知らないが故に純粋で、そのあまりの純粋さが成人男性としての常識や己を律する規範を逸脱していく、主人公ファントム=エリックの悲劇がまっすぐに届けられる様には、おそらく誰もがエリックの心情にシンクロし味方になるだろう、哀しいまでの愛しさを湧き上がらせる力があった。それが謎を謎として残すことでファントムの存在をミステリアスにスケールアップしている『オペラ座の怪人』と、ファントムと呼ばれるしかなかった無垢な青年の人生を描いたこの『ファントム』との違いをより鮮明にしたばかりでなく、モーリ・イェストンの書いたクラシカルで美しい音楽の魅力を、あますところなく表現して見せてくれている。そう、「くれている」と言いたいほどの、出色の出来に接してみて改めて、この作品への縁の中でいつかはと心に期していたというエリック役を、今トップスターの地位を得た望海が演じることができた。このことひとつをとっても、演劇の神が確かにいることを信じられる尊い時間だった。
一方そのエリックに音楽を託される真彩希帆もまた、高音域までも無理なく豊かに響く歌声で、天与の才能を持った音楽の天使を具現化している。真彩の凄さは、冒頭パリで楽譜を売っている時の歌声を、確実にエリックに磨かれる前の状態としてセーブしているにも関わらず、すでにその歌が心地よいことで、そこから更にクリスティーヌの歌唱力が劇中格段に進歩していく様にも目を瞠る、見事としか言いようのない歌いっぷり。「私の真の愛」で、エリックに素顔を見せて欲しいと訴える歌にも特段の吸引力があり、エリックが仮面を外す決意をすることにも無理がない。何よりクリスティーヌが非礼な女性に見えなかった、歌の力がここまで作品を支えるのかという事実には、胸をつかれる想いがした。
シャンドン伯爵とショレを交互に演じた彩凪翔と朝美絢は、シャンドン伯爵がかの『オペラ座の怪人』ではラウル役に当たる、と考えただけでかなり驚くほど、実は非常に為所に乏しい役柄だというところに、ここまで経てきた経験値の高さで、あくまでもスッキリとした二枚目像を構築した彩凪に一日の長はあるものの、朝美の思い込んだら一直線な表現にも観るべきものが多い。一方のショレ役は、その朝美が非常に思い切ったアクの強い造形で役者魂を感じさせれば、彩凪がどこか「ヘタレ」風味の気弱さを見せていて、双方非常に面白いWキャストになった。
その光り溢れる世界と、闇の世界の対比を描くことを意識したという映像のチョン・ジェジンの仕事は、説明過多に感じる向きもあるやに思うが、初めてこの作品の世界に触れる人には丁寧な作り。一新された稲生英介の装置と共に、新生『ファントム』をわかりやすく提示している。特に今回の『ファントム』では、エリックの従者が沙月愛奈、笙乃茅桜、鳳華はるな、諏訪さき、眞ノ宮るい、縣千の精鋭ダンサー6人に絞られ、エリックが街で救った浮浪者という設定は変わらないが、舞台での役割としては『エリザベート』の黒天使にやや寄った感覚があり、彼女たちの優れたダンス力と共に、エリックの心情も伝わってくる効果になった。またエリックの母ベラドーヴァが、第二ヒロインと言っても過言ではない大きな描き方になり、エリックの母親への思慕とクリスティーヌへの愛が重なり合うことが視覚的にもハッキリと示され、演じる朝月希和の母性の表出も当を得ている。可憐な容姿も役柄によくあった。幼いエリックの彩海せらの幸福な時代のエリックが、伸び伸びとしているだけに切ない。
こうした新たな工夫はもちろん、ショー作家としての才能を常に安定して見せている演出の中村一徳ならではのフィナーレの作り込みも多彩で、組の中心メンバーだけでなく、この作品を最後に雪組組長の大任から離れて専科に異動する梨花ますみ、この公演をもって退団する陽向春輝にも大きな見せ場を作った粋なはからいも美しい。総じて、ミュージカル作品としての『ファントム』、現代の宝塚歌劇が描く『ファントム』の決定版と呼んで、決して大袈裟ではないだろう完成度を示した仕上がりで、望海&真彩以下、舞台を彩るメンバー全員に畏敬の念を抱く舞台となっている。
また、作品の初日を前に囲み取材がおこなわれ、雪組トップコンビ望海風斗と真彩希帆が記者の質問に答えて、公演への抱負を語った。
まず望海からトップ披露だった昨年の公演に想いを馳せた「昨年も『ひかりふる路~革命家、マクシミリアン・ロベスピエール~』で、ここで取材をさせて頂いて、もう一年経ったんだと。本当にあっという間だったなという気持ちでここに立っているのですが、大劇場でやってきた『ファントム』を東京のお客様にも楽しんで頂けるように、もっともっととブラッシュアップして東京にやって参りましたが、お客様が入ったらまた変わってくると思うので、それを1回1回大切に感じながら深めていきたいと思います」との真摯な挨拶が。
続いて真彩から「望海さんもおっしゃったように、大劇場で公演してきたものが東京に来て、お客様やオーケストラの先生方のお力をお借りして、どのように変化していくのかを、自分自身もしっかりと吸収して公演を頑張りたいと思っております。精進して参ります」という真彩らしい、決意を秘めた言葉があり、場は清々しい雰囲気に。
その中で、念願だった『ファントム』主演への想いを訊かれた望海が「音楽に導いてもらって芝居も深まっていくのが、この作品の素晴らしさ」と語れば、真彩も「この作品は音楽の力がすごく大きな割合を占めていると感じています」と述べ、互いがモーリ・イェストンの音楽に魅了されていることを感じさせていた。
また「互いの歌をどう感じるか?」という質問に望海が「よく高い声が出るなと思います。自分が導いているのですが、あぁよく出るなと」と笑顔で言うと真彩が「1幕最後の歌声が本当に素晴らしくて、私は気絶しているのですが、気絶していても起きたいくらい!」と朗らかに応えて、絶大な歌唱力を誇るトップコンビの相性の良さが伝わる時間になっていた。
尚、囲み取材の詳細は舞台写真の別カットと共に、3月9日発売の「えんぶ」4月号にも掲載致します。どうぞお楽しみに!
〈公演情報〉
宝塚雪組公演
三井住友VISAミュージカル『ファントム』
脚本◇アーサー・コピット
作詞・作曲◇モーリ—・イェストン
潤色・演出◇中村一徳
出演◇望海風斗 真彩希帆 ほか雪組
●1/2~2/10◎東京宝塚劇場
〈料金〉SS席12,000円 S席8,800円 A席5,500円 B席3,500円
〈お問い合わせ〉0570-005100 宝塚歌劇インフォメーションセンター
公式HP https://kageki.hankyu.co.jp/
【取材・文/橘涼香 撮影/岩村美佳】