「普通とは何か?」の問いかけが示す痛みと希望 ミュージカル『next to normal』上演中!
一組の家族を通して「何が普通で、何が普通でないのか?」という普遍的なテーマを、力強いポップ&ロックの楽曲で描き出すミュージカル『next to normal』が日比谷のシアタークリエで上演中だ(17日まで。のち21日~24日・兵庫県立芸術文化センター阪急 中ホール、29日愛知・日本特殊陶業市民会館 ビレッジホールで上演)
ミュージカル『next to normal』は、音楽・トム・キット、脚本・歌詞・ブライアン・ヨーキーのコンビにより2009年に初演され、トニー賞11部門ノミネート、主演女優賞・楽曲賞・編曲賞 3部門を受賞し、2010年には『RENT』に次いで、ミュージカルとしては史上2番目のピューリッツアー賞受賞作となった傑作ミュージカルだ。双極性障害という心の病を抱える母・ダイアナと、その家族が直面する様々な問題と、愛するが故に揺れ動く肉親の絆が描かれていく。日本では2013年9月シアタークリエにてオリジナル版と同じ演出・デザインで日本初演。以来待望久しかった今回、2022年の再演は演出に上田一豪、美術に池宮城直美など、日本独自の演出・デザインでの謂わば新生『next to normal』としての上演となった。
【STORY】
父と母、娘と息子。現代アメリカの一見平凡な家庭の朝の光景からドラマははじまる。だが、母親のダイアナ(安蘭けい/望海風斗・Wキャスト以下同)は朝食のサンドイッチを作ることに熱中していくあまりに、やがて椅子や床にもパンを並べ始める。彼女は長年双極性障害を患い、現実と幻想の間で生きていたのだ。そんな彼女をなんとか支えようと夫のダン(岡田浩暉/渡辺大輔)は献身的に接しながら、疲弊しきってもいる。また、ダイアナが兄のゲイブ(海宝直人/甲斐翔真)に愛情を注ぎ、自分は愛されていないと思い込む娘のナタリー(昆夏美/屋比久知奈)は、猛アプローチを重ねてきたクラスメートのヘンリー(橋本良亮/大久保祥太郎)に心を開き始める。
そんなある日、ドクター・ファイン(新納慎也/藤田玲)による大量の投薬療法に嫌気がさしたダイアナは、薬をすべて捨ててしまい症状が悪化。ダンはダイアナに主治医を替えることを提案し、新任のドクター・マッデン(新納慎也/藤田玲・二役)のもとへ連れていく。だがそこで提示された新たな治療法は……。
この作品が日本で初演された2013年と言えば、いまから9年前の「ひと昔前」には至らない時間しか経っていないのだが、この9年の間に心の病に対する日本の一般的な感覚は相当な変化を見せている。初演当時は心の病と言えば劣勢遺伝であり、一族から発症した人が出ると婚姻にも差し障るという、今聞くとちょっとびっくりされるかもしれない概念が都市部を離れるほどに根強く残っていたし、一方で鬱病などは気の持ちようでどうにでもなる、なまけ病に過ぎないと言った、こちらも信じ難い精神論がまかり通ってもいたのだ。
そうしたなかで、この『next to normal』にオフ・ブロードウェイでの初演以来惚れ込み、2013年の日本初演からドクター・マッデンとドクター・ファインを演じている新納慎也の言葉を借りれば、「ちょっと早かった」日本での上演は、作品と楽曲が心に刺さり、延々と物語に耽溺していくコアなファンを生んだものの、興行的には厳しさもはらんだ結果になったものだった。
だが、2007年の開場以来、海外の小規模ミュージカルを積極的に数多く上演してきたシアタークリエの上演史のなかでも、突出した熱い記憶を誇っていたこの作品は、2017年シアタークリエ10周年記念公演『TENTH(テンス)』において、シアタークリエの大切なヒストリーのひとつに数えられ、『ニュー・ブレイン』 『この森で、天使はバスを降りた』と共に、10周年記念ダイジェスト公演として、内容を1幕に凝縮し、週替わりで上演されるひと作品となって華麗に復活。安蘭けい、海宝直人、岡田浩暉、村川絵梨、村井良大、新納慎也によるこのダイジェスト上演は大反響を呼び、再びの全幕上演を待ち望む機運が高まっていた。
そんな待望久しい作品が、2022年日本オリジナルの演出、装置で幕を開けたことは、まず非常に喜ばしいことだったが、それ以上に舞台に吹き渡った風がなんとも新鮮だった。初演で舞台いっぱいに建て込められた、それだけで既に一種の威圧感を与えていた三階建の、しかもその各階にも実は意味があった雄弁な装置は、二階建ての周り舞台を多く使った軽やかさのある装置に変換され、あらゆる場所で6人の登場人物による芝居が展開されていく。そのなかで、上田一豪の演出に常にある、物語世界と観客目線に共に寄り添う丁寧なリードが、時に電飾が煌めき、時に静かにホリゾント幕が開いて、光が差し込む照明(吉枝康幸)と相まって、いま観るべきものを示し、物語をストレスなく心に届けてくれる。ここには、この9年間で心の病そのものにようやく広がり始めた日本での認知度に通じる、それこそ「next to normal」に横たわるものなのだという目線が反映されているかのようだ。
しかもこの作品が心をつかむのは、真に描かれているのが心の病への提言では、実はないという点だ。ここにあるのはごく当たり前の家族の物語に他ならない。心の病に限らず、家族のなかに病に伏せる者が出れば、やはり金銭的にも、時間的にも、労力的にも家庭にはなんらかの負担が増していくものだ。それは誰か一人が数日熱を出して寝込んだ、というそれこそ日常にいくらでもある病でも変わらないし、自分よりも別の兄弟が両親のお気に入りだと感じたり、ちょっとした歩き方の癖などで、肉親との血のつながりを感じ、尊さと隣り合わせの重さを覚えることも珍しくないだろう。家族がいる、守らなければならないものがあるからこその強さは、誰かを守っているという意識に依存して成り立っていることもまた多い。つまりは心の病を抱える母親を中心に描かれるこの作品の骨子は、普遍の家族の物語、肉親という存在が抱える痛みを伴う愛がある。だから登場人物たちの喜怒哀楽が、まるで自分のことのように心に刺さってくるのだ。
そんな『next to normal』がコロナ禍に翻弄され尽くしたいま、2022年に上演され、全日程ソールドアウトの熱狂で迎えられたことには、多くの感懐を覚えずにはいられない。ここにはミュージカルという世界の日本での力強い成熟があるし、さらには「2チーム制」が敷かれた強力な布陣のキャストがロック&ポップの楽曲を歌いこなし、それぞれの物語世界を届けた功績が輝いている。
初演から、また『TENTH』のダイジェスト版からと続投のメンバーが多く組まれたダイアナ・安蘭けい、ゲイブ・海宝直人、ダン・岡田浩暉、ナタリー・昆夏美、ヘンリー・橋本良亮、ドクター・マッデン/ドクター・ファイン新納慎也によるチームAは、楽曲の持つロックな質感がより感じられるチームになっていて、全体にも非常にビートが効いてパワフルだ。
ダイアナの安蘭けいは、これまでの日本上演でこの役柄を演じ続けてきた人だが、幕開き時点で既に「うん?」と感じさせたエキセントリックさを抑え、平凡なお母さんに寄せた役作りをしているのがまず印象的。おそらく積んできた経験と社会の変化で、そうした演技パターンの選択肢が広がったのだろう。全体にパワーで押してくるダイアナ像は変わらないが、だからこそそんな彼女の心がぽっきり折れていく音が聞こえるような、心情変化にも鋭さがあるオリジナルキャストの貫禄だった。
そのダイアナが溺愛する長男ゲイブの海宝直人は『TENTH』からの登場で、当時よりも、ゲイブに一筋縄ではいかないダークな魅力を噴出させたのが、海宝の役者としての深まりを感じさせる。『TENTH』でこの人のゲイブの全編が観たい!と熱望させた期待を裏切らない仕上がりで、ビッグナンバーを十全に聞かせる持ち前の歌唱力にもますます磨きがかかっている。
ダンの岡田浩暉も『TENTH』からの登場だが、多彩な表情に苦悩がストレートに現れる岡田の個性が、ダン役の複雑さを示している。ダイアナを支え続ける重さのなかで、自分の精神バランスも危うくなる瞬間を抱えながらも、きっとまた家族のために立ち直っていくだろうと思わせる、しなやかな故の強靭さを感じるダンだった。
ナタリーの昆夏美は今回初登場だが、兄を溺愛する母親、母の世話に手一杯の父親との間で、誰にも顧みられていないという鬱屈と同時に、母の患う病の深刻さがいつか自分にも降りかかるのではという恐怖を抱えている娘の「嫌いになれたらどれだけ楽か」という捻じれに捻じれた愛情を、瞬発力を持って演じていて胸に痛い。
そんなナタリーに恋するヘンリーの橋本良亮は、5人組グループ「A.B.C-Z」として活躍していて『オレ達応援屋!!』などの舞台でもお馴染みの顔だが、こうしたある意味ソリッドな海外ミュージカルには初挑戦とあって、存在感自体が異色なことが、家族という絆でガチガチに固まった一家に外からやってくるヘンリーにつながって見えるのが面白い。感情を爆発させたナタリーをなだめるプリンスぶりも堂に入っていて、ミュージカル唱法に秀でた人材揃いのチームAで困難も多かったと思うが、この経験を是非次の舞台につなげて欲しい。
ドクター・マッデンとドクター・ファインの新納慎也も、前述したように初演からこの役柄を持ち役にしていて、『next to normal』フリークを自認する人だけに、時代が作品に追いついたいま、更に水を得た魚のよう。ドクター・マッデンがダイアナの目にはロックスターに見える瞬間があるように、ドクター・ファインのAIっぽさもダイアナの目から見た姿なのかも知れないと思わせる、様々な場面で変化する顔に、裏のドラマをどんどん探りたくなる存在だった。
このチームAに対して初役のメンバーが揃ったダイアナ・望海風斗、 ゲイブ・甲斐翔真、ダン・渡辺大輔、ナタリー・屋比久知奈、ヘンリー・大久保祥太郎、ドクター・マッデン/ドクター・ファイン・藤田玲のチームNは、全体にロック色がやや後退しているからこその繊細さがチームAとは全く別の魅力を醸し出している。
ダイアナの望海風斗は、微かにコミカル味を加えてダイアナの振る舞いを表現する冒頭から、彼女の精神世界を明滅するライトのように表出して惹きつける。歌唱力に秀でた男役トップスターとしてシアタークリエの正面の劇場で骨太な舞台を見せていたのが僅かに1年前とは信じ難いほど難しい役柄に溶け込んでいて、誰でもができる訳ではないだろうこの挑戦を見事に成功させた、確かな力量に改めて感服した。
ゲイブの甲斐翔真は、この2年間ミュージカル界を駆け上ってきた人だけが持つ勢いを、今回の複雑な役柄でも持続して見せている。ダイアナに溺愛されることがすんなり理解できる甘い雰囲気と、裏腹な寂しさも感じさせるゲイブ像で、歌唱力では頭抜けた存在である海宝とのWキャストを、素直に伸びてくる歌声できちんと務めあげたことは、甲斐にとってまた大きな勲章になることだろう。期待を常に超えてくる舞台ぶりが頼もしい。
ダンの渡辺大輔は、キャスティングを聞いた時には「ゲイブじゃなくてダン?」と思ったほどだったが、この数年果敢に役幅を広げてきた経験値が生き、ダイアナを愛し守りぬく信念と同時に、ある意味の共依存関係に陥っているダンの脆さを表現して出色の出来。渡辺のパフォーマンスとしても現時点でベストと思える仕上がりで、ナタリーへの失言さえも仕方がないかと感じさせる、ダンの苦悩が痛切だった。
ナタリーの屋比久知奈は、両親の愛情に確信が持てない少女の苦しみが、うっかり触れたらすぐにヒビが入ってしまうと感じさせるほど張り詰めていて、反抗的な態度までもがただ切ない。パワーを持った歌い手でもあるが、今回は力強さよりも澄んで突き抜けてくる歌声を多用していて、役柄によく合っている。
彼女を愛するヘンリーの大久保祥太郎は、可愛いな、いいなという感覚だったのかな?というナタリーへの気持ちが、彼女を知ればしるほど深まっていく、ヘンリーの劇中での成長を感じさせる緻密な役作りが光る。作品のなかでおそらくもっともストレートないい奴を、真っ直ぐに演じていて心地良い。
そしてドクター・マッデンとドクター・ファインの藤田玲は、何しろ新納の当たり役ぶりが半端ではないだけに、注目度も大きくなったが、二役の違いはもちろん、ダイアナが見ているロックスターのドクター・マッデンも豪快にキメて、元々あまりにも端正で整ったマスクの持ち主なだけに、その落差が爆笑も生む。それでいて仕事に真摯で、ダイアナをなんとか治そうとしているからこそ、医療の限界に苦しむドクター・マッデンの素顔も覗かせる好演だった。
上記、1チーム6人だけで演じられる作品は、噛めば噛むほど味が出るという深みに満ちていて、壮絶なチケット難でリピートが思うに任せないのだけが無念という、作品との幸せな邂逅が嬉しい限り。普通って何?という問い掛けが、生きていることの痛みと共に、新しい明日が必ずやってくると信じられる、ひとすじの希望が残る流れも秀逸で、これだけのメンバーを揃えるのが至難の業なことは承知の上で、是非早い時期の再演を企画して欲しい、そう願わずにはいられない舞台だった。
【公演情報】
ミュージカル『next to normal』
音楽:トム・キット
脚本・歌詞:ブライアン・ヨーキー
訳詞:小林香
演出:上田一豪
出演:(2チーム制)
ダイアナ(ダンの妻・子どもたちの母親):安蘭けい/望海風斗
ゲイブ(ダイアナとダンの息子):海宝直人/甲斐翔真
ダン(ダイアナの夫・子どもたちの父親):岡田浩暉/渡辺大輔
ナタリー(ダイアナとダンの娘):昆夏美/屋比久知奈
ヘンリー(ナタリーのクラスメート):橋本良亮/大久保祥太郎
ドクター・マッデン/ドクター・ファイン(ダイアナの主治医):新納慎也/藤田玲
●3/25~4/17◎日比谷シアタークリエ
〈お問い合わせ〉東宝テレザーブ 03-3201-7777
〈料金〉全席指定:12,000円(税込)
〈公式サイト〉https://www.tohostage.com/ntn/
《全国ツアー》
●4/21~24◎兵庫・兵庫県立芸術文化センター阪急 中ホール
〈お問合わせ〉芸術文化センターチケットオフィスTEL.0798-68-0255
●4/29◎愛知・日本特殊陶業市民会館 ビレッジホール
〈お問合わせ〉キョードー東海TEL.052-972-7466
【取材・文・撮影/橘涼香】
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