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【植本純米vsえんぶ編集長、戯曲についての対談】木下順二『風浪』

植本 木下順二さんの『風浪』。
坂口 「ふうろう」ですね。
植本 編集長が「これおもしろいと思うよ」とメールに書いてきたんだけどね、大作でびっくりしちゃった(笑)。
坂口 でも、まぁ、物語として読みやすくない?
植本 うーん、まぁ、あの…熊本弁っていうハードルがちょっとありーの、登場人物が多いっていうのと、あと当時の政治状況っていうのが「これ、どういうことなんだろう?」「この人はどっち側の人だったっけ?」って、やっぱり読むのは大変だった。
坂口 そうか…。じゃあ、あんまりおもしろくなかったんだ。
植本 いやいや、おもしろいんだけど、今までこのコーナーで一番大変だった。
坂口 ほんとう!
植本 やっぱり、知っとかないといけないことがいっぱいあってさ、当時の、熊本の情勢とかね。

植本 これ木下順二さんの、デビュー作でしょう?
坂口 そうですね。
植本 すごくない? こんな大作を処女作で書き上げるって、ビックリした。木下さんって言うと、『夕鶴』とか、もうちょっといくと、『子午線の祀り』とかいろいろあるけど…。もしかするとこれが本筋の人かな?と思って。
坂口 はい。
植本 これは彼が大学卒業の年に1回目を書き上げてるんだけど、とにかく頭が良い人だなぁって思いました。
坂口 80年くらい前ですよね。
植本 1939年に書き上げて、終戦の1946年から書き足してるのね。あとがきでご本人も書いていらっしゃるけど、1939年12月1日に軍隊に入営しなければいけないっていう、だから11月30日に書き上げてるのね。
坂口 第二次世界大戦が始まった年ですね。その前から日本は中国と戦争してますもんね。
植本 死ぬ前に1作くらいは書き残しておきたいということで。覚悟が…。

坂口 これは明治維新後、明治8〜10年くらいの熊本の話ですね。
植本 断髪令とか廃刀令が出て、ちょんまげの人もいるし、断髪した人もいるっていう混沌とした世界ですよね。
坂口 しかも士族という、四民平等でちょうど自分たちの権限がなくなっていくエリートたちの話でね。否も応もなくそういう立場に立たされてしまった若者たちの困惑とか、憤りっていうのと、ほんの少しの希望を描いてます。
植本 一応、主人公ぽい人はいますけど、青春群像劇ですね。

 

第一幕
【ト書き】
明治八年初夏のある晴れた午後。
熊本西郊、花岡山(はなおかやま)の中腹にある蚕軒山田嘉次郎の屋敷。しっかりした木組の農家を蚕軒が買いとって建て増しした不格好な藁屋(わらや)である。
(中略)
その奥の地続きには茶畠、桑畠、それからりんご、さくらんぼ、西洋ぶどう、西洋梨、あめん桃(どう)などの果樹園、それらの更に奥、谷一つ越えた向こうには、晴れた初夏の青空をかぎって、層々たる万日山(まにちやま)の段々畠が、一面の麦の緑におおわれている。

やがて新介(しんすけ)が得意そうに「レーキ」をかついで庭の左手から出て来て右手へ去る。その新介を押しもどすようにして右手から出て来る誠(せい)。

【本文】
誠 何べんいうと分ッとな? ああたは。もう子供じゃなかつだけん……
新介 ばってんかかさん、こらァアメリカ出来(でけ)ですけん、そぎゃんすぐ曲ったり折れたりはしやしまっせんばい。
誠 よかけん早うしもうときなはり。(右手に去る)
新介 (不服げに)はい。(「レーキ」の歯を勘定している)ワン、ツー、スリー……
屋寿 (庭の右手から蒸した茶を箕(み)にのせて抱えて来、上へあがって揉み始める)新介さん、早うしもうとかんとまた叱られますばい。
新介 はい。(左手へ去る)
(『風浪』木下順二作(岩波文庫)より抜粋)

 

坂口 まず第一幕。明治8年、初夏。熊本の西郊の花岡山にある山田嘉次郞(蚕軒)の屋敷です。蚕軒(さんけん)さんと呼ばれてますけど、この人は士族のちょっとエラい人かな?
植本 かなりエラいと思いますけど。
坂口 あ、そうなんだ。
植本 うん。
坂口 家族の生活が紹介されていて、
植本 おもしろいですよ蚕軒さん一家は。お妾さんが一緒に住んでたりとか。
坂口 一つの家の中に、亡くなったお兄さんの妻がいて、先妻との間にできた27歳の息子がいて、その嫁がいて、さらに自分の女房と17歳の娘と13歳の男子がいて、それからお妾さんも一緒に住んでいる。さらにおばあちゃんも居て、大家族。その人たち同士の会話っていうか、関係性がすごく上手に描かれているかなと。
植本 まだそんなに事件も起きないしね。アメリカから来てる洋学校の先生が尋ねてきてね、「奥さん、奥さん、奥さん、奥さん、オオーー、メニーオクサンズ」とかね。おもしろい。

 

【登場人物】
山田嘉次郎(やまだかじろう)(蚕軒/さんけん) 五十九歳
〃  誠(せい) 三十七歳 蚕軒の妻
〃 勢津(せつ) 四十七歳 蚕軒の亡兄の妻
〃 登志(とし) 三十九歳 蚕軒の妾
〃 唯雄(ただお)二十七歳 蚕軒の先妻の子、長子
〃 屋寿(やす) 二十二歳 唯雄の妻
〃 美津(みつ) 十七歳  蚕軒と誠との間に生まれた長女
〃 新介(しんすけ)十三歳 蚕軒の次男

佐山健次(さやまけんじ) 二十一歳
田村伝三郎(たむらでんざぶろう) 十八歳
————–
山城武太夫(やましろぶだゆう) 二十二歳
横井歳雄(よこいとしお)    二十歳
林原敬三郎(はやしばらけいざぶろう) 二十一歳
河瀬主膳(かわせしゅぜん)   二十歳
永島運記(ながしまうんき)   二十三歳
藤島光也(ふじしまみつや)   二十一歳
小野敬吉(おのけいきち)    十五歳
ジェインズ           三十六歳
ジェインズ婦人         三十二歳
光永広造(みつながこうぞう)  四十五歳
本田条平(ほんだじょうへい)  三十四歳
仁平(にへい)         近所の百姓
百姓たち
女将              三十三歳
女中たち
鎮台(ちんだい)兵たち
※人物の年齢はすべてはじめて登場する時のものである。

 

坂口 そのアメリカ人が紹介してる作物とかも自分の畑で植えたりしてるんですね。蚕軒は、産業を起こさないといけないという立場で、外国人を呼んで学校を作って教えてもらったりしてるんですね。ただ、気持ちは日本の心を大切にしようっていう考え方を持っていて。私塾的な集いでここの家には若い人が集まってますね。
植本 蚕軒先生がやってるのは、実学党っていうやつで、そこのドンみたいな人ですね。
坂口 若い人たちの焦りとか、家庭の問題も起きつつという、その一つ一つがとても面白かったですよ。熊本弁でこの人たちが実際に話しているみたいで、楽しく読み進めていけました。これ、25歳のときに書いてるんでしょ?
植本 そうですね。
坂口 しかも明日、兵隊に行くっていう、戦争が真っ盛りになる時だからね。明日死んじゃうかもしれない人が、こんな作品を書くって。もう、本当に…。
植本 うーん。
坂口 で、この一幕の最後のセリフがすごく好きなんです。佐山って人が「新介どんも洋学校でしたたいなあ」ってつぶやくと、17歳の蚕軒の娘が「はあ、第三期生のビリカスですたい」って、自分の弟を何かこう、かわいらしくけなすっていうニュアンスがね、25歳の青年が、ふと書けるっていうのがね。
植本 すごい。
坂口 すごいと思うんですよ。本当に言いそうじゃない。この子の性格がすごく出るセリフをポンッて書ける。
植本 しかも幕切れにね。言わせるっていう。
坂口 スゲーっと思って。で、2幕に入ります。

 

第二幕
【ト書き】
前幕のしばらくあと、日暮れももう近い。熊本南郊、江津湖(えづこ)の湖岸。一面の湖水。その水面の半ば以上をおおっているひょうたんのようにふくれた胴体の浮藻(うきも)「台湾(たいわん)ナギ」が初夏の微風になぶられて、一せいにひょうきんな踊りを踊っている。左手の手前から奥へ道路をかねた高い堤防。
(後略)
(『風浪』木下順二作(岩波文庫)より抜粋)

 

植本 2幕ね、何がすごいって、これですよ「一面の湖水」。
坂口 はいはい。江津湖っていう、今だと水前寺公園にある湖に行くんですね。
植本 デビュー作でさ、一目の湖水って、ト書き書く?(笑)。
坂口 はい。蚕軒の先妻の息子唯雄が西洋かぶれしそうな新介が心配なのと、自分が洋学の状況も知りたいと、釣りに誘うんですね。
植本 これ、すごいなー。
坂口 お芝居を作る人も、見てる観客の気分も変わるし、話も分かりやすい。うまく別の場面を作ってます。
植本 主人公らしき佐山君もついて来ます。
坂口 佐山君は一緒にいて聞いてるか、聞いてないかみたいなポジションでいると、それぞれの昔の友だちたちとかが出て来ますね。
植本 後々に問題になる人が出て来ます。
坂口 特に、佐山君が関わり合ってる20歳くらいの、
植本 藤島っていう人と、若い小野っていうのがふんどし一丁で土手に出てきますけど。
坂口 藤島は昔からの佐山の友だちですね。
植本 藤島たちは、よくよく聞くと喰う物にも困っていると言って。魚が釣れないと夕飯にありつけない。その切実さがね。

坂口 で、まぁ2幕はそんな感じなのかな?
植本 この2幕の終わりもね、オシャレですけどね。
坂口 ?
植本 あの、釣り竿が。
坂口 釣り竿?
植本 藤島と佐山が仲良く話しているときに「酒を買ってこい」って言われて、戻って来たら2人は喧嘩していて。自分の釣り竿が流されてしまっていて、小野っていう若いのが湖に飛び込んでこの幕終わるんですけど(笑)。
坂口 そうでしたね。
植本 いい幕切れですよ。フフフ。
坂口 中江兆民のところへ弟子入りに行く人や、要領よく実業をやり始めている人たちも出てきたりしてね。当時の状況を上手に描いてます。

 

第三幕
【ト書き】
前幕から数ヶ月後、明治九年初頭の朝。熊本、古城(ふるしろ)にある洋学校教師館の応接間。
ペンキぬりの壁に、ガラスのはいった高い観音開きの窓。粗末な卓子(テーブル)と数脚の椅子。(皆日本人の大工の手になる)
(中略)
奥の部屋から、青年たちが殆ど熱狂的にうたう英語賛美歌、ルーテル作”A Mighty Fortress”(「神は我がやぐら」)が聞こえている。

 

坂口 3幕になります。3幕は、
植本 その数ヶ月後です。ここではもう廃刀令が出ています。
坂口 はぁ、なるほど。で、洋学校の、
植本 応接間ですね。舞台がね。
坂口 ここで耶蘇教(編注:キリスト教)を信じるチームがここの生徒たちの中から出てきて、
植本 はい
坂口 自分たちは耶蘇教の考えを広める活動をすると宣言をした翌日ですね。それで騒動がいろいろ起きる。
植本 その設立メンバーが、通訳やってた林原さんだったりとか、横井君っていうのが出てくるんだけど、この人は、実学党の開祖の横井小楠の息子ですね。
坂口 林原君は一気にここで成長してますね。料理の通訳でモタモタしてたけど、やっぱりいろいろ学んでいて、ちょっとリーダー的な立場で宣言をする。
植本 耶蘇教を信じて、それによって国が変わると信じた人たちがいたというのは現実だもんね。
坂口 それを押さえ込もうとする人たちが出てくるんですけど。
植本 蚕軒先生も当然怒り狂って、激しいやりとりがここで起きますよね。
坂口 蚕軒先生の13歳の息子がこっちのチームに入ったりしてますもんね。結局、彼は最終的には京都に行っちゃうんですね。
植本 そこから京都の同志社に入った。
坂口 そうみたいですね。
植本 あ、そういうつながりがあったのかと思って。
坂口 よかったです。
植本 史実として同じようなことがあったんですよね。
坂口 3幕の終わりも盛り上がりますね。学校にいる耶蘇教チームが神風連やそれに近い保守的な人たちに石とか投げられて、暴力で対応できないから、賛美歌を声を張り上げて歌うっていうので、…これは大変盛り上がります。「賛美歌と罵声と投石の内に幕」。うまい!

植本 ここも佐山君は納得できないんですよね(笑)。
坂口 キリストの教えも最後の最後で納得できないって彼は。
植本 言ってることは分かるんだけど、で? みたいな感じですね。
坂口 彼は根本的な真理「大義を四海に布く」が知りたくて、ずーっと自分の中で結論が出ない。それは素晴らしいんですけどね。混乱しているときは困るよね。
植本 ははははは!
坂口 平時だとゆっくり考えられるけどね。
植本 まったく悪気はないんだけどね。
坂口 3幕の終わりではさ、「石像のように突っ立ったまま、降ってくる石を避けようともせぬ左山」っていう。この場面は佐山が主人公の展開では全然ないのに、照明が佐山に当たって、賛美歌が聞こえてくる。佐山をどういうポジションで使いたいのかな。全編を通して佐山の立ち位置がおもしろいですね。

 

【ト書き】
講堂の方から十数名の歌声が起る。幕あきの賛美歌「神は我がやぐら」の第一節。

【本文】
林原 おお、やりよる、やりよる。おい、こっちも歌うぞ!

【ト書き】
林原、田村と新介、声をはり上げて歌う。
夫人に固く寄り添いつつ、熱に燃えた林原の面上をじっと見つめる美津。その二人をかばうように立って、黙禱(もくとう)しているかのようにじっと瞑目(めいもく)するジェインズ。
石像のように突っ立ったまま、降って来る石をさけようともせぬ佐山。
賛美歌と罵声(ばせい)と投石のうちに——
——幕——
(『風浪』木下順二作(岩波文庫)より抜粋)

 

植本 木下順二さんって、どこの幕切れを見ても、絵作りがうまいんだなぁって思いますね。
坂口 天才的ですよね。
植本 ビジュアルがハッキリしてる。
坂口 いやいや、彼は、彼って言っていいか分かんないけど。
植本 (笑)いや、大丈夫です。
坂口 すごいと思う、会話のニュアンスとかのやり取りとかも。自分では反省することがいっぱいある戯曲だとは言っているけど、
植本 後で読み返すとちょっと恥ずかしいとご本人が言ってるけど。
坂口 いやぁ、こんなの書ける人はそうはいないって。
植本 こんなね、硬派で骨太なね。
坂口 そのうえで、細やかな気持ちのやり取りがあるわけですよね。それが一番出てくるのが次の4場だと思うんですね。

 

第四幕
【ト書き】
全幕より数ヶ月後、明治九年の秋。払暁(ふつぎょう)。
第一幕と同じ花岡山(はなおかやま)、蚕軒の屋敷。
あたかも第三幕の終りの騒ぎに続くような遠い騒音と叫喚(きょうかん)。豆をいるような小銃の音がまじる。
それにまじってドンと大砲の音——やがてまた一つ——やがてまた一つ——そうして幕があがる。

縁側で伸び上るように強い火の手を観ている勢津(せつ)、美津(みつ)、登志(とし)。

【本文】
登志 三つ——三つ鳴りましたばい大砲が。やっぱり神風連(しんぷうれん)でござりまっしゅうなあ。
美津 ああ、あっちの火の手の、ほう、見なはりまっせ、またあじゃん強うなりましたばい。ととさん、ととさん、あの火はどこでござりますか?
蚕軒 (庭先のくらやみから戻って来る)あらァ歩兵営たい。あっちンとが砲兵営だろう。風がなかもんだけん、火の手が竿(さお)ば並べて立てた如(ごつ)まっすぐあがりよるなあ。
(『風浪』木下順二作(岩波文庫)より抜粋)

 

坂口 4場は、大きな事件が起こります。
植本 さっきちょっと言った蚕軒先生の実学党が失脚していて。
坂口 権力側の体制が整ってきて、廃刀令が出ている。それに不満を持つ神風連が中心になって一気に暴動になるんですね。
植本 はい。
坂口 鎮台っていうのが襲われたりしてます。
植本 鎮台っていうのは政府軍の地方組織みたいなものかな。
坂口 そこが襲われていろんなところで火事になったり、責任者が殺されたりというのを蚕軒先生の家族たちが、あそこに火が上がったとか、わーわー言っている混乱ぶりっていうのがおもしろい。
植本 花岡山の中腹にある屋敷から見ているわけですね。
坂口 ネットで花岡山を検索するとこの場所あたりからの熊本市内を眺めることができます。とてもよい眺めです。
植本 (笑)。
坂口 家族で避難しようとしている場面で、複雑な家庭の中で暮らしていた母と娘の“邂逅”があって。娘とお母さんの気持ちがなんとなく折り合って。こういう混乱の中にこういう会話を入れてくるセンスがすごいくいいと思うんですよ。一方、街では火の手がバンバン上がって、
植本 そうそう。
坂口 人死にが出て。蚕軒の家にも襲って来そうな勢いなんですが。でもそのことだけを書いたら、んー、なんかドラマとして膨らまないかもしれない。母と娘のやり取りがあったり、もう一つはいつの間にか娘の恋人的な存在になっている林原君。ここまで娘がずーっと洋学校のことを心配してる。「学校は大丈夫かなぁ」って。
植本 はい。
坂口 でも、本当は学校より大好きな林原君が心配で、一生懸命聞いてるんだけど、それは母親だけが分かっていて。まぁ、ここはドラマなんだけど、この場面の最後の方に彼が屋敷に来るんですね。で、これから東京に、京都?
植本 誰?
坂口 林原君。
植本 林原君はね、京都ですよ。
坂口 京都に行く。蚕軒先生の息子も、
植本 新介ね。
坂口 息子も京都に行ってるから何かことづけなどがありますか?って。
植本 母親からお金と薬を渡されて
坂口 お金を渡した後、お母さんは気を利かせて娘を外に出して戸を閉めて、娘と林原を2人にしてちょっと会話するシーンを作るんですね。いい場面ですよ。すごくいい。

 

【本文】
林原 お美津つァん……ほんに済まん。何一つああたの力になり得んで……ああたにあのまま洋学校ば退(ひ)かせてしもうて……
美津 今夜はああたは……洋学校は……?
林原 神風連な? いいや、来まっせんでした。
美津 ほんにお案じしとりました。
(中略)
美津 そッで、御出立(ごしゅったつ)は……?
林原 いま塾ば出て来て、ここからまっすぐたい。
美津 ここからて、おうちの方は?
林原 うちには寄らん。寄っても入れちゃくれんもん。……まあ、当分は何(なん)もかんも忘れて勉強に打ち込もう。京都からの郵便にも、デビスっちゅう先生にジェーンズ先生からちゃんとお頼みしてあったけん、熊本洋学校のもんちゅうと同志社では別してようして呉るるげな。
美津 よかですなあ、ああたたちは。よかて思う事(こと)ばどんどんと進めて行きなはるけん。
林原 わしァ……次の休みにゃまたすぐ帰ってきますけんな。何の、長崎から飛脚船で三日だもん。ああたもそれまでからだば大切にして……

【ト書き】
表の戸を乱打する音。
罵声(ばせい)。戸を押し破る音。

【本文】
「蚕軒!」「山田蚕軒はおらんか!」「実学党の腰ぬけ!」「出て来(け)ェ!」

林原 あっ。神風連のきた! お美津つァん、早う隣りへ! (右手陰へおしやる)

【ト書き】
物音が去ったと思った時に、ばっと一枚の雨戸が庭へ蹴倒され、手負いの藤島光也(みつや)が現われる。

【本文】
藤島 (林原を認めて)何(なん)か、わらァ?
林原 何(なん)でンなかです。通りがかりの……
藤島 む! わらァ洋学校の……(刀をかまえる)
佐山 (出て来て)光也!
藤島 う? ああ、わらァ、健次……この変節漢(へんせつかん)が、わらァまだ洋学校のけだものと結んで……
佐山 違う違う!
藤島 ほざくか! (刀をかまえる)
(『風浪』木下順二作(岩波文庫)より抜粋)

 

植本 この大作の中では、恋愛要素って少ないじゃないですか。
坂口 そうですね。
植本 貴重な場面ですよね。他の人たちは恋愛の話なんて全然ないから。
坂口 だからここはね、何とも言えないいい場面です。
植本 うんうん。
坂口 でいいんだけど、さらに言うと、ここはまだ大変なシーンがあるんですね。佐山も林原と一緒に来てるんですけど、そこに昔の友だちがなだれ込んできて、佐山が行きがかり上立ち会って斬り殺しちゃうんですよね。
植本 そうなんです。2場の湖で出会っていた幼なじみの藤島ね。
坂口 混乱して、みんな気が立ってるからね。
植本 向こうからかかってくるんだけど、反射的に斬り殺してしまいますね。
坂口 すごく切ない場面です。
植本 庭先でね。
坂口 そう。っていう場面が。
植本 この場面で、主人公の佐山は道が開ける。自分が何をするべきか分かった。後々の場面でそう言ってますけど。
坂口 西郷隆盛の戦に加わるんですね。それにしてもすごいですよね。佐山が嗚咽しながら、殺した人の名前を呼んで。
植本 「地面に横たわる藤島の死骸を放心したように見つめている。—だっと地面に手をつく。かみしめた歯の間から、やがて嗚咽がほとばしり出る」…そうね。
坂口 「空には既に薄い朝の光がただよいはじめている」って、彼が慟哭しているところで、そういう場面を作る。木下順二やるよねー(笑)。

 

第五幕
【ト書き】
全幕より数ヶ月後、明治十年の浅春のある宵(よい)。一及び四幕と同じ場面。
蚕軒邸は料亭「不知火(しらぬい)」に変わっている。佐山と山城。

【本文】
山城 なあ佐山どん、ここで西郷に加勢せん者ァ男子じゃなかばい。誰でンいいよろうがな、薩摩の西郷が動き出したらこんどは政府も落ちついちゃおれんて。
佐山 おい……
山城 あっはっは。何の、構やせん。誰でン大声でいいよッたい。もう肥後も薩摩もなか、士族たる者ァ一人残らず打っ立って——おっ、また上った。

【ト書き】
「わああがったァ」「花火花火」「わあ美しかァ」等々と騒ぐ女たちの声々と花火の音。

 

植本 そして5幕。また数ヶ月後なんですけど。明治10年、蚕軒先生の屋敷が舞台なんですけど、屋敷は売り渡されていて不知火という料亭に変わっていて大繁盛しています。
坂口 なんで繁盛してるかって言うと、熊本鎮台や、県の接待の場になってるんですね。
植本 蚕軒先生は別の場所で塾を開いています。
坂口 この場はもう、あとがきみたいな感じですね。
植本 そうだね。時間が穏やかに進んでる。
坂口 酔っぱらい同士の与太話で、なんか変わっていっている状況がわかる。ここも作家としてうまいですよね。真面目な話にすると退屈してしまいそうだけど、みんな酔っ払ってるから、話が軽く進んでいって読みやすいです。
植本 うん。
坂口 そんな中で佐山がね、自分はもうめいっぱい考えたけど、もう考えることは止めたと。
植本 議論もし尽くしたと言ってるよね。
坂口 「自分はもう逆賊でもよか、暴徒と呼ばれても構わん」って言って「大義をうち忘れ」ている政府を倒しに行くと。西郷の戦に参加していきます。
植本 この終わり方もね、佐山が去り。酔っぱらいたちが寝てしまっていて、そして最後のセリフがこの料亭の女将なんですよね、これすごいと思う。ふふふふふ。
坂口 どうでもいい人が舞台に最後に残るんだよね。

 

【ト書き】
間——
廊下を走る女たちの声々。「おみつどん、鎮台の参謀さまのおつきですばい」「おまさどん、およしどん、お客さまのお着きですばい」「光永の旦那さんもごいっしょにお着きですばい」

【本文】
永島 (眼を覚まして)あゝあ……お? ……おい山田、誰もおらんぞ。……(唯雄は眠ったままなので)ふん……(意味もなく新聞をとりあげて見ているが)「近頃お江戸で拾った落首(らくしゅ)に曰く」か、「上からは明治だなどというけれど、治まるめいと下からはよむ」か。ふん。(新聞を投げすててごろりと寝る)
女将 (やがて酒肴(しゅこう)を持ってはいって来る)おや、お客さまは? (唯雄をゆすぶる)もし、光永の旦那がお見えになりましたよ。もし。……しょうがないねえ。お風邪を召しますよ。もし、旦那、もし……

【ト書き】
再び近づいて来るキンキラキン——
——幕——
(『風浪』木下順二作(岩波文庫)より抜粋)

編注:キンキラキン(熊本県民謡)
熊本市の花柳界を中心に唄われた。キンキラキンとはピカピカ光るという意味で、絹物の高級な衣装などを指す。江戸中期。肥後藩主・細川重賢が藩の財政を立て直す為、質素・倹約令を出した。それを風刺したのがこの唄の始まりとも言われている。
公益財団法人日本伝統文化振興財団より↓
https://s.jtcf.jp/item.php?id=vzsg-10618

植本 この後、主人公の佐山は西南戦争で死ぬんだろうと。そんな感じもしますし。
坂口 彼は家柄が良かったんだよね。いつも「お前は家柄がちょっとあれだから、金に困ってねえだろう」みたいなことを言われていますよね。だからちょっとだけ甘いというか…。
植本 理想が高いし。
坂口 こんな混乱時にいくら大義って言っても…、彼はいろんな思想に触れて変節漢といわれながらも、どうしてもそれを分かりたいっていうことですよね。だから作家の思いはどうなんでしょう。佐山に気持ちを乗せてるんですかねぇ?
植本 あー、でもね、誰かが、評論書いてるのを読んだら、佐山ではないんじゃないか、むしろ河瀬とか、もしかしたら林原とか。
坂口 林原は良すぎるな。
植本 うはははは。
坂口 彼は京都に行ってどうなったか、娘さんとどうなったか分かんないけど、林原は良すぎるんじゃない? 河瀬は弁論で立つって言って中江兆民の所へ行くけど、噂話ばっかりで巷の出来事を拾ってくる俗物君だよね。そこ行くと佐山は寄り道ばかりしているけど、大義を追求していくことで筋が通っているかなと。物語を背負っているかどうか分かんないけど、当時の木下順二に近いのかなとは思いますが。この後、彼は軍隊に入って戦争に行かなくてはいけないわけだし。でもあれですよね、時代に翻弄されていく、こう、寄る辺ない若者たちを描きたかったんですよね。
植本 群像劇で誰も英雄ではないからね。

植本 この『風浪』を初演したときって、10ヶ月間稽古したんだってね。すごくないですか?
坂口 それでやっと、地元の人が観ても違和感がない、
植本 方言とかね、
坂口 ようなものになったと本人があとがきで言ってますね。他の専門劇団には一切上演を許可してないんでしょ?
植本 うん。
坂口 たとえ許可しても今はできないと思いますけどね。もう、何か外国の話やってるみたい。じゃあ、外国の話、日本人ができるかって言ったらできるといえばできるけれども…。
植本 人間の持っている匂いとかさ、そういうものが昔とは違うんだろうなと思いますからね、今は。
坂口 じゃあシェイクスピアをどうやってやるか、いろいろな工夫をするんだと思うけど、この作品に関しては工夫しないものが観たいので。
植本 え? やるとしたら、鬘も、髷もリアルにつけたり、
坂口 って言うか、もうやんないでほしい。
植本 (爆笑)。
坂口 ぼくの宝物として。ちゃんと読み物として置いておきたい。
植本 うん。
植本 ともかく読み応えありました。
坂口 これー、すごくおもしろい。
植本 おもしろいから、誰もやるなと。
坂口 そう、これはぼくのもんだと思いました。
植本 じゃあ、あのー…何って言うんですか(笑)、編集長が鬼籍に入られた後に、どなたかに上演していただきたいと思います。
坂口 わははははは、そうですね。
植本 わはは。
坂口 いつ? もう半分鬼籍に入ってるみたいなものだから、どなたがやられてもとは思いますが…。

植本純米

 

 

 

 

 

 

 

うえもとじゅんまい○岩手県出身。89年「花組芝居」に入座。以降、女形を中心に老若男女を問わない幅広い役柄をつとめる。外部出演も多く、ミュージカル、シェイクスピア劇、和物など多彩に活躍。同期入座の4人でユニット四獣(スーショウ)を結成、作・演出のわかぎゑふと共に公演を重ねている

坂口眞人(文責)
さかぐちまさと○84年に雑誌「演劇ぶっく」を創刊、編集長に就任。以降ほぼ通年「演劇ぶっく」編集長を続けている。16年9月に雑誌名を「えんぶ」と改題。09年にウェブサイト「演劇キック」をたちあげる。

 

▼▼▼今回より前の連載はこちらよりご覧ください。▼▼▼

 

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