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【植本純米vsえんぶ編集長、戯曲についての対談】ジョン・ミリントン・シング『海に騎りゆく者たち』

 

 

 

 

 

植本 今回はジョン・ミリントン・シングさんの『海に騎りゆく者たち』。
坂口 アイルランドの人で、1900年頃の作品ですね。
植本 日本ではそんなに知名度のないシングさんなんですけど、アイルランドでは国民的な大作家、詩人みたいで、『西の国の伊達男』という作品などは教科書に載ってたりとか、学芸会でやるくらい有名らしいですね。
坂口 「父親を殺してきた」と吹聴する若者が人気者になったりする話で、いいですね。次回はそれをやりしましょう。
植本 (笑)。で、今日やる『海に騎りゆく者たち』なんですけど、海に囲まれていて厳しい自然がすごく関係してるんだろうな、と。そして宗教のこともありますしね。
坂口 性根が据わっているというか“骨太”という感じですよね。“骨太”って最低な政治家たちが乱用するので、いやなイメージが付いてしまって残念ですけどね。

【登場人物】
モーリア 老婆
バートリー その末息子
キャスリーン その娘(姉)
ノーラ その娘(妹)
男たち
女たち

【場所】
アイルランド西海岸の離れ島

【ト書き】
田舎家の台所。網、雨合羽、糸車、壁に立てかけた数枚の新しい白木の板など。20歳ぐらいの娘キャスリーンが、パンの粉を練り終えて、暖炉のそばの丸いオーブンに入れる。それから手を拭い、糸車を回して、紡ぎはじめる。妹の少女ノーラが戸口から顔をのぞかせる。

【本文】
ノーラ (低い声で)母さんは、どこ?
キャスリーン 横になってるわ、かわいそうに。眠っているかも。眠れればいいんだけど。

【ト書き】
ノーラ、そっと入ってきて、ショールの下から包みを取り出す。

【本文】
キャスリーン (糸車を忙しく回しながら)なに、それ。
ノーラ 若い神父さんが持ってきてくれたの。ドネゴールの浜に遺体が打ち上げられていてね、その人の着てたシャツと靴下だって。
(以下略)

(海に騎りゆく者たちほか―シング選集「戯曲編」/恒文社刊より)

植本 『海に騎りゆく者たち』、びっくりするくらい救いのない話ですね。
坂口 僕もさっきまでそう思っていて、それなりに理解したつもりだったんですよ。でも植本さんが送ってくれた映像をみて・・・、
植本 今コロナで無料配信が色んな国で行われているんですけど、そのうちの一本だと思うんですけど、
坂口 本当に素晴らしかったです。
植本 のっけから、半開きのドアから風がビュービュー吹き込んでくる(笑)。
坂口 あれ舞台を映像用に撮ってますかね。
植本 カメラワークがね。
坂口 舞台を映像化することも多い今の時期にはぜひ観てほしいですね。今も観れるかわからないけど。
植本 29分とかで短いですね。
坂口 短いですが手間がかかってますよね。
植本 装置もリアルと抽象の間くらいで、すごく陰影のある照明とね。
坂口 これは戯曲の話なんだけど、映像を見ちゃったから、もういろんなことが吹っ飛んじゃって、とても素敵だったんで。
植本 あの映像見て、ト書きの重要性っていうか、小道具ひとつひとつがすごく意味があるものなんだってことがよくわかりますね。

坂口 最初お姉さんがパンの生地を切ってるところのアップから始まります。
植本 こねて、切って。一行のト書きをすごく時間かけて上演してるから。あと次の糸車のシーンとかも。
坂口 糸車本物でしょ? かっこいいですよね〜。人がいっぱい最後に出てきたりするシーンは、お芝居っぽいシーンになってましたね。
植本 最後とか登場人物全員泣いてるじゃない、映像とか見てもさ。ボロ泣きしてるから。
坂口 日本でやる時は、なにか別の手立てを考えないといけませんね。
植本 シングさんって人は例えば、匂い立つものでいうと、リンゴの香りとかクルミの匂いが感じられるようなセリフっていうのを目指したらしいんです。日本でそれを読んだ人が、仙台のカンパニーなんですけど、牡蠣とかホヤの匂いがするようにって。仙台弁? 宮城弁でやったらしいですね。
坂口 あ、そういうことでいうと、シングのこの作品『海に騎りゆく者たち』は割と普通の言葉で翻訳されているけれども、別の作品は大概地方の言葉で翻訳されてますよね。
植本 名だたる作家や翻訳者が一遍ずつ書いてて。
坂口 木下順二とかね。
植本 これだって高橋康也さん。有名な方ですよ。その方たちの色合いもあると思うんですけどね。

坂口 それぞれとっても読みやすい。なんでこれ選んだかっていうと、今こんなめちゃめちゃな悲劇ってあんまりないなと思って。ぜひ話してみたいと思ったんですけどね。
植本 小気味いいっていうか、こういうの少ないですよね、短い作品でド悲劇っていうのがね(笑)。
坂口 メタメタ救いようがないじゃないですか。もし救われるとしたら神の存在でしょうか。神に救われるしか、この人達は現状ではないのでは?
植本 アラン諸島という3つくらい島があるんでしたっけ。
坂口 アイルランドの左上の方? 大西洋の荒波がくる。日本で言ったら佐渡くらいの感じなのかな、昔の佐渡。みたいな所で漁業を中心に暮らしている家族の話ですよね。それもちょっとひかれるところだけど、男が皆死ぬ。
植本 はい。
坂口 要するに海が荒れてても漁に出ないと生活がなりたたないから、それで無理して海に出て・・・1900年位の話ですね。
植本 1902年だったかな。
坂口 そういう意味では日本でも、船乗りの言葉で「板子一枚下は地獄」みたい言いようがあり、そういう暮らしをしている人たちもいたわけで。
植本 だから、海に囲まれているのでその恩恵も受けてるんだけど、自然の猛威にもさらされている。

坂口 今の僕らの感覚で言ったら海が荒れたら行かなきゃいいじゃん、って単純に思うけど、行かざるえないんでしょうね。おじいちゃん、お父さんが亡くなってて、上のお兄さんも亡くなってて、今その次のお兄さんは行方不明。え、違う?
植本 ええとね、息子達6人いるんですよ。4人がすでに亡くなっていて、その内の二人は遺体があがってるんだけど、二人はあがってなくて、で、その5番目が行方不明で・・・生きているのは6番目なんです。
坂口 あ!そうなんだ!で、その5番目の息子かもしれない遺体があがって、
植本 すごく離れた北の方で遺体があがって、神父さんが遺品を届けてくれた。
坂口 ちょうど届いたその遺品を妹が持ってくるってところから舞台が始まりますが、そのときにすでに5人亡くなっている。
植本 うん、5人目の遺品が届いてるところですね。
坂口 お母さんと、娘が二人。で、一番下の弟の4人家族ですね。掘っ立て小屋みたいなところで暮らしているという設定ですね。やっぱりなんだろう、映像見ちゃったからなあ、なんとも。

植本 ちゃんとメールに書けばよかったね、見るのは自由、見ないのも自由ですって(笑)。
坂口 (笑)いやいや圧倒的におもしろかったので。戯曲読んだときはもうちょっと悲劇悲劇したことが印象的だったんですよ。だって息子たちが皆死んじゃっておばあちゃんが嘆き悲しむっていう話だから。でも映像見てるとそれだけではない、彼女たちの生活というか、存在感?もちろん最後、神の存在みたいなことも含めてもっと深い作品のイメージがあるんだなあっていうのがすごくわかって。それを戯曲で読み取るのが僕らの仕事なのかもしれないけど、それはちょっと読み取れなかったですよ。
植本 風土っていうか、主人公の家族達が身内を亡くすっていうことにある種慣れてるところがあるし、それはこの家族だけじゃなくて、島全体がそうなんだろうな、と思って。
坂口 死に対するイメージっていうのがそういうものなのかも、日常の中にある。
植本 家の中に白木の板が置いてありますよね。それは棺を作るためにお母さんが買ってきた物なんですけど、それがあると自分たちの生活のすぐそばに死があるっていう象徴にもなりますよね。
坂口 島に大きな木がないので他からわざわざ買ってくるんですね。で、ちょうどその兄貴の遺品が届いた日に、一番下の息子が船に乗って馬を売りに行くって言い出す。
植本 馬の市があるので、この機を逃すと船がいつ出るかわからないってことで、悪天候の中出かけて行きますね。
坂口 そう。そこのやり取りも切ない。若者の「俺は大丈夫だ」みたいな急く気持ちと、お母さんが「やめておきなさい」っていう心配する気持ち。娘達の戸惑いみたいなやりとりが、とてもわかる良いシーンだと思うんですよ。

植本 どうなんでしょう。男達がどんな状況でも出て行くっていうのは、生活のためっていうのの割合と、男がもってる海が呼んでるみたいな(笑)、どうなんだろうなと思ってその辺の具合。
坂口 プライドみたいなのもあるでしょうね。
植本 こんだけ身内が死んでてもね。
坂口 やっぱり、そこで退ひいたら男がすたる、みたいなのがあって。想像だけどきっとそういうのを乗り越えた人が英雄視されるっていうか。「あいつはすごいみたいな」そういうのは昔からどこの国でもあるんじゃないかって気はしますよね。
植本 ワンシチュエーションっていうか、舞台セットはそうなんですけど、窓の外とか、ドアの向こうをすごく感じさせる。先には道とかもあるんでしょうけど、その先には海があるっていうね。
坂口 その土地の歴史が上手に凝縮されてますよね。

植本 多分意図的だと思うんですけど、今度やる『西の国の伊達男』もこの作品も時間軸がちょっと変だなと思っていて。わざとなんだろうなと思うんですけど。例えばこの作品でいうと、最後6番目の息子の遺体があがってくるっていう時間がちょっと早すぎる気がしていて。
坂口 そうですね。
植本 出かけていってから戸板に乗って遺体が帰ってくるってのが「あれ? ちょっと・・・」って思うんだけど、そこは演劇だし(笑)。
坂口 僕もそう思いました、オッケーだなと思って。特に映像見たらそれは感じましたね。兄貴の話してたらもうすぐに弟の死体が・・・あんなにリアルにもってこられるとは思わなかったけどね(笑)。
植本 しかも泣き女みたいな人たちもくるわけじゃない、人集めるのには結構時間かかるだろうなと思ったんだけど、まあ、そこはね・・・
坂口 まだ戯曲を読んだ方が少し間があったかな。でもそれは、
植本 大したことじゃないっていうかね。
坂口 うん。むしろそこをリアルにやってつまんねえ芝居はごまんとあるでしょ。
植本 やるときも気になったりはするんだよ。一回出て、入ってくるときに「ちょっと短すぎねえかな」と思って演出家に聞いたりするんだけど、「うん、見た目に大丈夫だから」って言われたりするし(笑)。
坂口 演出家によっては意図的にやってますよね。そんな時間はもたないからって。
植本 そこリアルにやってもっていうね。

坂口 それで出て行った息子が結局自分の持ってた馬?
植本 乗っていた赤馬と、売ろうとしていた灰色の馬。
坂口 で、灰色の馬に蹴られて海に落ちちゃうの?
植本 そうなんですよ
坂口 それはまた海難とは違った。
植本 一層悲惨っていうか。まだなにも始まってないのにっていう。
坂口 意図的、作家のケレン味っていうか。僕はすごく面白く思ったんですけど。
植本 落ちるのは海だけど、直接の死因は海じゃないじゃないですか。そこが皮肉が効いてるっていうか。
坂口 面白い作家なんだな、と思っていると、別の作品では皮肉が効いたユーモアが全開になっているものが多いですよね。この作品はそれを極力剥ぎ取ってはいるけども、このシーンだけはそういうのが垣間見えていて面白いですね。

植本 あそこも印象に残りますよね、お母さんが息子が忘れていったパンを届けにいくと、渡せない。それはなぜかというと、売ろうとしている灰色の馬に5番目の亡くなったお兄さんが綺麗な格好をして乗っていた。だから亡くなっていて霊なのかな? みたいな描写なんですけど。これを娘二人に話した時に娘達のリアクションが、それを素直に信じていて、そういう文化なんだろうなって思ったんですけど。要は霊とか精霊とかが身近に感じられる世界なのかなって思ったんですけど。
坂口 亡くなった人が枕元に出てくるみたいな。彼女達が語ると妙なリアリティがありますよね。
植本 その5番目の綺麗な格好をしたお兄さんを見て、お母さんは直感的に6番目も死ぬなって思うわけじゃないですか。そんな近くに死者がいるのかって。
坂口 だからお母さんの嘆きと、それに慣れてるからかもしれないけど、フッと切り替わって息子を弔うその気持ちの切り替えみたいなのが、すごく上手に描かれている。息子の死を受け入れないといけない場面が圧倒的に印象的で・・・戯曲を読んだときは感じなかったけど、実際見てみると、やっぱり神。神がいるから救われてるって感じはすごくしました。
植本 最後に主人公のお母さんがしゃべりますけど、こんだけ全てを自分は失ったから、もう失うものがないっていう強さ。これからは外で物音がしたり叫び声があがったとしても、自分にはもう関係のないことだ、もうこれ以上私には悲しいこととか嫌なことは起こらないからって。それが主題なんだろうなって。

【本文】
モーリア (聖水の入っていたコップをテーブルに伏せ、バートリーの足に両手をそろえて置く)やっとこれでみんな一緒になった、これですっかりおしまいだ。神様、バートリーの魂に、マイケルの魂に、それからシェーマス、パッチ、スティーヴン、ショーンの魂に、どうぞお恵みを。(頭をたれる)……そしてまたわしの魂に、ノーラや生き残ったすべての者の魂に、お恵みを。

【ト書き】
 そこで言葉を切る。女たちの歌う嘆きの歌がやや高まり、そしてかすかに消えて行く。言葉を続ける。

【本文】
モーリア マイケルは神様の思し召しで、遠い北の方で浄らかに葬ってもらった。バートリーもあの白木の板で立派な棺桶を作ってもらい、深いお墓に眠ることになるじゃろう。これ以上何を望むことがあろう? 人間だれだっていつかは死ぬんじゃ。わしらも諦めなければならん。

【ト書き】
 モーリアが再びひざまずき、ゆっくり幕が降りる。

(海に騎りゆく者たちほか―シング選集「戯曲編」/恒文社刊より)

坂口 ものすごく悲しいし、そうじゃないほうがいいけど・・・でも、そこで納得せざるをえない暮らしっていうのかなぁ・・・って思いながらみました。僕らにとっては救いがないけど、あちらの人にとっては神っていう救いがもしかしたらあるのかもと思って。僕は神様なんてしっちゃいねえって思っているけど、それはそれで、何百年もそのことで戦争してるくらいだから、自分はそのことに関しては全く理解してないんだなって思いました。だから短い作品の中にとってもいろんな感じるものが多くて、すごく・・・
植本 あのさ、あそこひっかかりませんでした(笑)? 娘が5番目と6番目の兄弟に関して、お母さんは5番目の方が好きだったのよ、みたいなとこちょっとひっかかりませんでした(笑)?
坂口 あ、そうだよね。フッと言う
植本 皮肉っていうか、最後死んじゃう6番目の息子の死に対して、慣れてるって言えば慣れてる、死に対してね。喚いたりとか、泣いたりとかしないので、それを見た娘達が「5番目のお兄さんのときはそうじゃなかった」って(笑)。
坂口 そうね、娘たちは割と感情的にならないように書かれていますよね。でも映像で芝居見るとほんとうに存在感のある演技をしてるじゃないですか、あの3人の女の人が。これはちょっとなあ、って。何回も言いますけど、ちょっと思っちゃいますよね。

 

〈対談者プロフィール〉
植本純米
うえもとじゅんまい○岩手県出身。89年「花組芝居」に入座。以降、女形を中心に老若男女を問わない幅広い役柄をつとめる。外部出演も多く、ミュージカル、シェイクスピア劇、和物など多彩に活躍。同期入座の4人でユニット四獣(スーショウ)を結成、作・演出のわかぎゑふと共に公演を重ねている。

 

坂口眞人(文責)
さかぐちまさと○84年に雑誌「演劇ぶっく」を創刊、編集長に就任。以降ほぼ通年「演劇ぶっく」編集長を続けている。16年9月に雑誌名を「えんぶ」と改題。09年にウェブサイト「演劇キック」をたちあげる。

 

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