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【一十口裏の「妄想危機一髪」】第80回 クリスマスの奇跡

「ああ。こちらの預金は普通には下ろせない預金となっております。申し訳ございません」
そう言いながら女は、カウンターの上に置いた俺の通帳を押しやった。
押しやってすぐ、次の客を呼ぼうとした。

散々並ばされ、やっとATMを操作すると、お取り扱い出来ませんの表示。
仕方なく窓口に行ったら、散々待たされたあげく、この対応。
俺は思わず、通帳を押し返して言った。
「どういうことですか」
「ですのでこちらは、通常の手続きでは下ろせない預金となっております。申し訳ありません」
そう言いながら女はまた、俺の通帳を押しやった。
「だから」

俺は瞬間、ブチ切れそうになった。しかし勿論、気を鎮めた。
こんなことで声を荒げるようなマネはしない。俺はもともと短気な方じゃない。
あれはあまりに理不尽だったからで。誰だってちょっとは声を荒げるだろうことで。
たったそれだけでクビになるなんて、納得の出来ないことだった。

取引先に非があった。毅然と対応すべきだった。しかしそれが出来ない厳しい状況にあったのは知っていた。
実際あの後、すぐに社は潰れた。ついでに取引先も潰れた。どうあれ俺は仕事を失ったのだ。

「じゃ、どういった手続きで下ろせるんですかね」
「奇跡が起きない限りは」
「は?」

勤めていたのは、それほど規模は大きくないが、歴史の長い出版社だった。
子供の頃から名前は知っていた。本屋に並んだ本に、それは時々刻まれていた。

入社時は嬉しかったし、振り込まれる給料も羽振りが良かった。
俺はそれを全部使ってしまわないよう、別の口座を作った。
景気が悪くなってからはこの口座からも、少しずつ金を下ろした。あくまでも少しずつ。

なのでこの口座には、いざという時のための金が残っている。
だから思わず俺は身を乗り出した。声を荒げる事は我慢した。

「何言ってるんですか、ふざけないで下さいよ。困るんですよ、それがないと今月からの生活が」
「ですので、こちらの預金は全て、奇跡によってお振込されておりますので」
「はい?」
「奇跡が起きない限り、引き出す事が出来ません。申し訳ありません」

そう言いながら、女は俺の通帳を、更に俺の方に押し戻した。
俺は通帳を手に取り、見つめた。奇跡によって、お振込?
何かの聞き間違いだと思った。キセキ。軌跡?鬼籍?奇石?
俺は通帳を見つめたまま言った。

「いや、でも、これまでは普通に下ろせてたんで」
「少々お待ちくださいませ」

女は斜めに座り直して、キーボードをカタカタ鳴らした。
そして画面を指でなぞりながら、上から順に何かを確認し始めた。
俺はその画面を見たかったが、どう身をよじっても見えない角度に、それは置かれていた。
女は画面から目を離さずに言った。

「ああ、これまでが奇跡だったんですね」
「は?」
「これまでが、奇跡だったんです」
「え?」

右隣のカウンターで、何かが眩く光った。キラキラとした音が鳴って、光の色が七色にきらびやかに変化した。
俺は画面を見ようと、更に身を乗り出した。そのチカチカする光が邪魔で、右手で光を振り払った。

「これまでが?」
「はい。お客様はこれまでの間、こちらの預金を奇跡的に、引き下ろしております」

左隣のカウンターで、ドーンと鈍い地響きがした。そして、そこに向かって天から一筋、純白の光が差し込んだ。
俺は眩しくて目を瞑った。そこから何やら強い風も吹いてきたので、左手でそれを遮って言った。

「奇跡的に?」

背後のATMコーナーから、カランカランと鐘の音が鳴り響いた。目を開けると、背後から濃い霧が立ち込めていた。
思わず振り返ってみると、天上の雲がそのまま降りてきたかのような煙った中に、美しい天使達が飛び交っていた。どこからともなく厳かな賛美歌も聞こえてきた。
俺は、おお、と思った。これは、奇跡だな、と思った。

「ですので、またの機会に、奇跡的にお願い致します」

背後に女の声を聞き、俺は、はあ、と言った。
奇跡的な出金や入金や振込が、店内のあちこちで行なわれている。
その様子を、呆然と眺めた。

ポーン。

「89番の番号札を、お持ちのお客様ー」

背後に女の声を聞き、俺はそのまま、呆然と歩き出した。ちょっとすいません、と片手を上げて、四方の奇跡の合間を潜った。

そう言えば俺の鞄には、潰れた社の出版した小さな聖書が入っている。中途半端に凝った装丁の、大した売上にはならなかったものだ。暇になったこの時期、ちょっと読んでみようかと鞄に入れたものだ。
しかしもうそんな気は失せた。歩くのに邪魔なほど起きる奇跡を掻い潜った後に、誰がこんなものを読むか。

俺はそれをゴミ箱に放ると、店外に出た。チラチラと真っ白な雪が降っていたが、これは奇跡じゃない。ただの雪だ。俺は寒さに身を縮めた。
何より俺はまた、奇跡的な給料を、奇跡的に振り込んでもらい、それを奇跡的に下ろさねばならない。
でもどうやって。いやその前に。とりあえずどうやって年を越そうか。

奇跡は、めったに起きないから奇跡。
俺は更に身を縮めた。

 

【著者プロフィール】一十口裏
いとぐちうら○ 「げんこつ団」団長

げんこつ団においては、脚本、演出のみならず、映像、音響、チラシデザインも担当。
意外性に満ちた脚本と痛烈な風刺、容赦ない馬鹿馬鹿しさが特徴。
また活動開始当初より映像をふんだんに盛り込んだ作品を作っており、現在は映像作家としても活動中。

げんこつ団公式サイト
http://genkotu-dan.official.jp/

 

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