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【一十口裏の「妄想危機一髪」】第70回 未来に希望を

「ようこそ!日進新聞、編集局へ」

爽やかな声が、私を迎えた。
フロアを忙しく動き回る皆の間を縫って、私は彼に、心底、謝った。

「ごめんね、仕事中に…」

しかし彼は屈託なく笑って言った。

「いいんだよ。ちょうど今、夜のニュースを書き終えたところさ。
それより、何か書いて欲しいニュースはないかい?
なんでも、お望みのものを書くよ?」

彼は澄んだ目を輝かせた。
私はその目に吸い込まれそうになる。

彼はあれから、昼夜を問わずに、誰よりも働いた。
この世を明るく照らすために。

全ての子供に愛と夢を。それが彼の願いだった。
そのために、彼は次々とニュースを世に発表していった。

そのニュースはいつもハッピーエンド。
それは世界のどこに住む誰にでも、明るい希望を与えてくれる。

彼のおかげで、暗いニュースはなくなった。
今や世界に流れる全てのニュースが、彼の手によるもの。

世界中が、彼の生み出すニュースの虜。
それは、生きる勇気を与えてくれる。

そう、彼の名は、押田記者。

 

ずっと買い換えていない押田のスーツはヨレヨレだ。
ここ数年の不摂生により、腹だけがポコンと突き出している。

その黄ばんだワイシャツの歪みを見る限り、
スーツのボタンはもう閉まらないだろう。

しかし彼はそんなことは気にしていない。
夢と感動の世界を作り出す彼のその瞳は、
誰よりも、キラキラと輝いている。

[ 社訓 ]
[ 一、マジカル! ]
[ 一、ドリーム! ]
[ 一、ファンタジー! ]

彼の手による達筆な筆書きで、
日進新聞社の社訓が、壁に大きく掲げられている。

遂にこの社の編集局長となって、彼は社内を一新した。
局長になっても尚、記者としてほぼ全ての作品を自らの手で手がける彼を、
その新しい仲間たちが支えている。

「なんでも書いてもらったらいいのに。
好きなことを、好きなようにさ! ハハッ」

軽やかにステップを踏みながら、ニッシン・マウスがやって来た。
でも私は今日は、そんな気分ではなかった。

「さ。イッツ・ア・記者クラブで、世界の会見を旅するかい?
それとも、号外マウンテンで、速報のスリルを体験するかい?
それか、特ダネ・ツアーズがいいかな! ハハッ」

「ありがとう。でも、今日はいいや」

大きな黒い耳を揺らして、肩をすくめたニッシン・マウスに、
押田が声を掛ける。

「おい、この記事の推敲を頼むよ」
「わかった。おい、ドナルド・キャップ!」
「ガア、ガア、ガア!」

大きなお尻を揺らしてドナルド・キャップがやって来た。

「あー、あと、チップとデスク!」
「なんだい?」
「なにか用かい?」

同じように鼻をひくひくさせながら、チップとデスクがやって来た。

相変わらず賑やかでせわしない編集部が、更に華やぐ。
三人は頭を寄せ合い、尻を揺らして記事を確認する。
ああ、いつまでも居たくなる。いつまでもここに。

でも、私は意を決した。

「さあ。今日はいったい何の用だい?」

優雅な動作で振り向いた彼に、私は伝えた。

このままではここに住めなくなること。
一緒にここから逃げて欲しいこと。

まだ誰も知らないことが、始まっていること。

逃げた先が安全かどうか、いやそれ以前に、
安全な場所がどこにどれだけ残るかどうかも、
まるでわかっていないことを。

その原因も、対策も不明。
いったいなにが起こっているのか。

人々は何もわからず、ただ逃げ惑っている。

 

すっかり伝えると、私は黙った。
彼は大きく両手を回してから、腕を組んで考えた。
しばらくの間、小首を傾げて考えた。

お腹に腕がつかえて、その腕組みはやけに上の方だった。
また小首を傾げたことで、その両肩は更に上に上がっていた。

しかしようやく首を起こして、私に再び向き直った彼は、
いつもとまったく変わらない、優しい目をしていた。

「でもさ、僕がニュースを書かなくなったら、
世の中がまた、暗いニュースばかりになってしまうだろう…?」

 

結局、彼はそこを動かなかった。

ゆっくりと陽が暮れていくうちに、その予兆が始まった。
彼を置いて全員が、そこを去らざるを得なかった。

私は最後まで彼を説得した。
しかし彼は笑って言った。

「ううん、だって今こそ、いや、この先の未来にこそ、
僕がニュースを書かないとね。うん、ひとりだって大丈夫。
なあに、任しとけって!」

彼はどさっと椅子に尻を乗せると、
自分のデスクのスタンドを突いて、明かりを点けた。
そして腕まくりをして、気合を入れてから、
引き出しからチョコバーを一つ、取り出して言った。

「じゃあね!」

私は何も答えずに、編集部の明かりを消した。
その方が集中できるのを、私は知っていた。

彼はチョコバーを咥えると早速デスクに向き直り、
カチャカチャとせわしなくタイピングを始めた。

掲げられた社訓が鏡になって、彼の顔がチラリと映った。
その目はやはり誰よりも、キラキラと美しく輝いていた。

 

【著者プロフィール】
一十口裏
いとぐちうら○ 「げんこつ団」団長
げんこつ団においては、脚本、演出のみならず、映像、音響、チラシデザインも担当。
意外性に満ちた脚本と痛烈な風刺、容赦ない馬鹿馬鹿しさが特徴。
また活動開始当初より映像をふんだんに盛り込んだ作品を作っており、現在は映像作家としても活動中。

げんこつ団公式サイト
http://genkotu-dan.official.jp/

 

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